朝が好き。じりりとけたたましく鳴る目覚ましを止めると、 まだみんなが寝静まっている時間のしんとした世界に響くのは鳥の起きる声、 新聞配達のバイクの音だけ。寝ぼけ眼を擦りながら、透き通った朝の空気を吸い込んで ゆっくり夢から覚めていく。白いコットンのシャツに袖を通して黒のスキニーパンツを履いたら、 階段をおりてカフェエプロンをまく。そしてパンの焼ける匂いを嗅ぎながら、 わたしは今日もお店に立つ。


…………


「あ!」
「…は?」

いつもどおりに出来上がったパンを並べていると、いきなり隣で大きな声が響いて は顔を歪めた。そちらを見ると、 大きく目を開いた端正な顔立ちのクラスメートが立っていた。瀬見英太だ。

「何してんだよ、こんなところで?」
「何って、ここはわたしの家ですけど?」
「は?そうなの?」
「そう。だから手伝ってんの。」

パンに目を戻して再び並べ始めると、瀬見は「ふーん」と言いながら、 わたしの頭のてっぺんからつま先まで眺める。

「なに、じろじろ見ないでよ。」
「いや。なんつーか、その服似合ってるな。」

瀬見はにかりと笑う。

「おまえって顔ちっせーし、手足すらっとしてるから、そういうシンプルな服がよく似合う。」
「そういう瀬見は………相変わらずだね。」
「ちょっと待て、今失礼なこと考えただろ!」

わいのわいの騒いでいたら、瀬見の後ろから品のある女性が「英太」と呼んでいる。母親だろうか。

「あれ、うちの母親。部活休みの日くらいつきあえって言われて連れてこられたんだよ。」
「ふーん。」
「気のない返事だな。まあいいわ。じゃ、また月曜日に!」

そう言ってその女性の方へ向かう彼に、軽く手を振りながら後ろ姿を見つめる。 ああいうふうに瀬見のストレートに物をいうところが、好きでもあったし嫌いでもあった。 男子であろうと女子であろうと関係ないのだ。 カッコいいかと聞かれてそう思えばカッコいいと答えるし、かわいいかと聞かれても同じだ。 だからああやって、「似合ってる」と言われても素直に喜べやしない。 似合ってたら誰にでも言ってる。自分だけが特別じゃないのだ。

土日が終わって落胆の声が聞こえる月曜日。わたしの昼食はわたしの作ったパンだった。 それを目敏く見つけた瀬見が近寄ってくるのが見えた。

「なー、それが作ったやつ?」
「そうだけど、なに?」
「俺にもくれよ。」
「嫌!食べたいなら買いにくれば?」

そう返せば拗ねたような顔をしたのも束の間、他の女子グループから 「瀬見ー、これ見て!かわいいでしょ?」と聞かれて「おー!かわいい。」なんて答えている。 ほらね、期待するだけ無駄。ただのチャラい男。

次の日の朝、店のドアが開いたと思ったら瀬見が立っていた。 来ると思わなかったから少し胸が高鳴ったけれど、 それはどうにか顔にでないようにぎゅっとエプロンを握りしめる。

「…いらっしゃいませー」
「おい、棒読みやめろ。」
「本当に来るとは思わなかった。」
「まあ、朝練前のロードワークでここ通るし?」
「ふーん。」

だから今日はあのダサい私服じゃなくて、ジャージなんだ。 瀬見はパンたちを覗きこみながら「うまそー」と言っている。

「で、どれ?」
「何が?」
「おまえが作ったやつ。」
「え、これだけど。」
「じゃあ、それにするわ。」

どうしてそんなに嬉しそうに笑うんだろう。やめてほしい。 せっかく正確にリズムを刻んでた心臓が乱れておかしくなってしまう。 きっともう来ないだろうなと気を抜いていたが、それは間違いだったと次の日になって気づく。 彼はまた現れた。1度食べたら満足すると思っていたのに。 次の日もその次の日も毎日毎日飽きずにやってくる。ロードワークの途中なんでしょう、 と思って走っている姿を想像するとどうもパンの入った紙袋を提げて持って帰るのは 走りにくいのではないだろうかという考えに行き着いた。 わたしのせいでロードワークに集中できなかったとか言われたくない。

「ねえ、そんなにパンが好きなら学校に持っていくよ?余ったやつとかならタダだし。」
「それじゃ意味ないから。」
「え?」
「俺はおまえが作ったパンが食いたいんだっつーの!それに学校じゃその格好見れねーじゃん。」

なに、そのプロポーズみたいな言い回し。なんで、わたしの格好見に来てるとか言うの。 期待してしまうじゃないか。完全に彼のペースに乗せられてしまう。 だめだだめだ、赤くなっちゃだめ。瀬見のダサい私服思い出して何とか必死に食い止めようとするも、 そう思えば思うほど歯止めがきかなくなる。

「顔、赤いけど?」
「うるさい!」
「なあ、。俺が毎日来てる理由分かるか?」
「…わかんない。」

顔を見られたくなくて両手で隠しても、すぐに掴まれてあばかれる。 瀬見の手、バレーしてる手、テーピングが巻かれてるけどきれいに手入れされた指先。 触れたものを全て溶かしてしまうような熱い指先。

「俺、おまえのことが好きなんだ。」

積み重なったわたしの意地っ張りな壁が崩れていく音がする。チャラくない。分かってる。 ただ本当に思ったことを言ってるだけ。わたし、ずっとずっとそうやって言われるの嬉しかった。


…………


「おまえが作ったパンが食べたい」だなんて、それお前が作った味噌汁が食べたいと一緒だから、 と思い1人笑みをこぼす。朝が好き。あなたが会いにくる朝が好き。 そう言ったらどんな顔をするんだろう。 照れながら嬉しそうに笑う顔を想いながらわたしは今日もパンが焼ける音を待つ。






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