今宵、銀河の片隅で

 わりと新しめのアパートに置かれた家具たちはまだ何も身につけておらず、1Kの部屋には所狭しとダンボール箱が積み重なったままだ。その隙間から柔らかな光を通す色素の薄い髪の毛がひょこひょこと見え隠れしている。その髪の持ち主はどたんばたんと大きな足音を立てながらキッチンとこの部屋を行き来し、ガムテープをびりりとはがしながら鼻歌を歌っている。ありがたやありがたや、わたしの引越しなのにそんなに楽しいのか。

、この鍋とかボールはシンクの下でいいだろ?」
「うん、ありがとう。」

 英太は案外片づけが得意のようだ。今日から初めての一人暮らしをするわたしは何をどこに片づければ効率よく動けるかあまりよく分からないが、3年間寮暮らしをしていた英太は男ばっかりのところでいてもどちらかといえば整理整頓が出来ていた方らしい。今もホームセンターで買ってきた収納グッズを使ってシンク下をきれいに4分割している。寮の部屋の写真を見せられたときはぐちゃぐちゃだったから今回の申し出も断ろうと思っていたが、ただ単に物が多くて入らなかっただけのようだ。でもあの変なプリントがされた服さえ捨てればもっとすっきり収納されていただろうにと思う。天童がダサいダサいと言っていた服もわたしと一緒に買い物に行くようになってからは誰がどう見ても雰囲気が変わったらしく、彼女ができたということはすぐにバレたみたいで「何か知んねーけどバレた」と照れながら報告してきた英太はいつもの強気な顔とは違ってかわいかった。
 英太にばかり荷解きさせてしまっていると日が暮れてしまうので、負けじとわたしもガムテープを引きはがしたがその1番上に置かれていたものはつい先日卒業したばかりの白鳥沢学園の卒業アルバムでついついパラリとページをめくってしまった。卒業して1ヶ月も経っていないのに随分前のように感じるのは、センター試験が終わってからは学校に行かなくなってしまったからだろうか。卒業までの1ヶ月半は塾で自習をすることが多かった。順調にアルバムをめくっていた手は学園祭のページでとまる。この学園祭の次の日に英太は東京に行くと言った。
 わたしはずっと県内で進学したかったしその希望も無事に叶えることができた。一人暮らしも許可してもらえて万々歳だけれど、英太と離ればなれになることは全く考えてなかった。それを聞いたわたしは目の前が真っ暗になりしばらくその場から動けなかったというのに、彼はしっかり前を向いていた。だからそのときは「応援するね」と精一杯物分かりのいいふりをした。彼はスポーツ推薦で入学する予定だったが一応学科試験も受けないといけないらしく、たまに図書室で一緒に勉強していたのだけれど、ある日、委員会の仕事があって待ち合わせ時間よりもだいぶ遅れて図書室に着いたとき英太の隣に座っていたのはわたしじゃない女の子だった。顔を近づけて2人で参考書を覗き込む姿は何も知らない人から見れば恋人同士のようで、離ればなれになる覚悟の出来ていない自分にはそれは別れを告げられるのではという不安感を増長させた。近づけばその女の子はわたしににこりと可愛らしい笑顔を見せ、英太に「同じ大学に入学できればいいね」と言って去ったのでますます不安は募り、それは涙となって現れ、ようやく自分の想いを英太にぶつけることができた。離れたくない、離れたくないのにどうしていっちゃうの?英太はわたしの頭を撫で謝りながら「毎日連絡するし、こっち帰ってきたらまずおまえに会いに来るから。」と言って泣きじゃくるわたしを宥めた。落ち着いた頃に、あの女の子は英太と同じクラスの子で同じ大学を目指しているので情報交換していただけだと聞いて少し安心した。けど、一緒の大学に通えるあの子が羨ましい。

「何泣いてんだ?」

 ダンボールの陰に隠れて物音立てずに突っ立っているわたしを怪訝に思った英太が片づけをしていた手を止め、心配そうに寄ってくる。そしてわたしの手元を覗き込んだ後はっとした顔をした。ずっと英太を好きだったわたしの想いは気づかなかったこの鈍い男が、こういうことに鋭いのは何故だろうか。流れ出るわたしの涙を拭いながら「おまえだけじゃないから、俺だって離れたくないから。」と言っている。英太と離れるのが寂しいのは当たり前だけれど今日からこの部屋で一人暮らしをスタートさせる寂しさもあって、込み上がってくる不安を受け止めて欲しくて涙で濡れた顔を彼の胸に押しつけ腕を背中に回した。急にそんなことをしたので彼は「おわっ」と驚いた声をあげながらも、わたしの背中をさすった。見上げれば少し困惑の色を浮かべていたものの照れたような表情をしていたため、もっとその顔を見たくてまだシーツのかかっていない剥き出しのベッドのマットレスの上に押し倒すと彼は耳まで真っ赤にした。何回か体を重ねているのにわたしからこうやって彼の上に跨ったことは一度もなかったからだろうか。でも、今日くらいはいいでしょう?離れる前にあなたのその顔を目に焼き付けたいと思っても。

「なんで、お前が上に乗るんだ。」
「だって、英太がかわいいから。」
「かわいいって言われても嬉しくねえんだよ。」

 そう言いながらわたしの腕を掴み引っ張ったと思ったら、目に入ってきたのは見慣れない天井と真剣な顔をした英太で、さっきとは逆の立場で英太がわたしの上に乗っかっていることが理解できた。

「あのな、おまえの方がかわいいから。」
「えー?」
「だから、俺はおまえが変な男に言い寄られないか心配。」
「大丈夫だよ、告白とかされたことないし。」

 心配するだけ損だよ。モテた試しがないのに。そう思いながら英太を見上げると呆れたように溜息をついた。

「自覚してくれなきゃ困るから言うけど、おまえ結構モテてたよ。」
「だから言い寄られたことないって。」
「俺が牽制してたからに決まってるだろ。」

 えっ。驚いてぽかんと口を開けていると、「間抜け顔。」と言いながら英太のきれいな形をした唇がわたしの口を覆った。啄むようにお互いがお互いの唇を堪能したあと顔を離すと英太は困ったような顔をしている。

「そろそろ自覚しろよ。」
「そういう英太こそ気をつけてよ。」
「俺はマジでに惚れてるから他の女なんてミジンコにしか見えない。」
「ミジンコって。」

 ふ、と思わず笑みをこぼすと英太も笑いながらわたしを力いっぱい抱きしめた。骨の軋む音がするんじゃないかと思うくらいの強さだったけれど、その痛みがわたしの不安を軽くしていく。

「今日泊まっていくわ。」
「じゃあ片づけしなくちゃ。」
「でもその前にすることあるだろ?」

 ああ、その顔。いつもの爽やかな笑顔じゃなくて少し扇情的で意地悪な笑顔。わたしがたまらなく好きなその顔を目に焼きつける事ができたなら、300kmの距離さえもきっと乗り越えることができるから。英太のシャツの裾にわたしの手を差し入れ筋肉質な背中を撫でると再び口を塞がれ、わたしの腰が直になでられる。英太の熱い体温が伝わればあとはそれに縋りつくだけだ。