キンコンカンコンと響く放課後の始まりを知らせるチャイムは、俺にとって、 天国に召される瞬間とでも言えよう。そう言っても過言ではない。 エナメルバックを肩に下げ、教室の喧騒をかき分けて部室に向かう。 野球をするのはもちろん好きだけど、部活が始まるまでの、部室に向かって この廊下を足早に歩いている瞬間も俺は自信を持って好きだと言える。 部室に入って、後輩や先輩、同級生から「ちぃっーす」っと大きな声で 迎えられると、今日もがんばろうって気になれるし、こいつらのために 俺ももっとうまくならなければと奮起できる。そうやって、俺の部活の時間は 始まるのだ。そう、始まってしまえば野球以外のことなんて考えたくもないし、 むしろ考えられないのがいつもの榛名元希であるはずなのに、秋丸が放った 「あれ?おまえ今日日直じゃなかったっけ?」という一言のおかげで、 俺の頭の中の6割くらいをが占めることになってしまった。 そう言われてみればそうだったかもしれない。今日一日、授業が終わるごとに 黒板を消していたの姿が思い浮かび、罪悪感に苛まれた。彼女の背はあまり 高くなく、上の方の文字を消すのにジャンプしてたっけ。その姿をかわいいと 思いつつも、今日の男子の日直誰だよ手伝ってやれよ、なんて思っていたが、 なんということだ!俺じゃねーか!そう気づいたときから、俺はどうやら落ち着きが なかったらしく、あとから秋丸に「おまえ、分かりやすいよな」と笑われてしまった。 そう言う奴をぶん殴ってやったのは言うまでもない。キャッチボールをしながら ふと自分の教室を見上げるとまだ電気がついていた。彼女が一人で日誌でも 書いているのだろうか。それとも補習のやつらか。そんな視線に気づいた秋丸が 「そんなに気になるんだったら様子でも見に行けばいいのに。先輩に言っておくよ。」 と言ってくれたのでお言葉に甘えさせてもらった。お礼にさっき殴ったことを 謝ってやったのに、「そんなのいいからアイスでもおごってくれ。」と 返されたので、またぶん殴ってしまった。いや、でも秋丸が悪い。俺は悪くない。
開けっぱなしだった教室のドアから中を覗き込むと、案の定が席に座って 何か書いている(多分…いや、間違いなく日誌だ)。窓から射しこむオレンジの光が 彼女にあたって、髪が茶色っぽく透けて見える。はらりと落ちた髪の毛を耳にかける 仕草が妙に色っぽくて、俺の心臓がどきりと高鳴った。
(なんか、俺、こんなところから覗き見して変質者みてぇ…)
そんな彼女をここから見ていたいという気持ちもあったが、手伝いにきたわけだし、 意を決して教室内に足を踏み入れると、なんだか彼女の聖域を侵すみたいで悪いことをした 気分になってしまった。けれど、はそんな俺に気づかずうつむいて考え事をしている。 足音でも誰か来たことくらい分かりそうなものなのに、と思ったが、ふと彼女の耳元に 目をやると、イヤホンをつけていて、シャカシャカと音が漏れていた。
(結構大音量で聞いてんな、これは。)
ここから声をかけても気づいてもらえないと思った俺は、の座っている席の前の奴の 椅子にドカリと腰掛けの手元を覗き込んだ。日誌の上に突然できた影に驚いたは、 バッと顔を上げ、「榛名くん!?」と言ってイヤホンを片耳だけ外して俺を見つめた。
「どうしたの?部活行ったんじゃ…」
「わりぃ、。俺日直だったのついさっき思い出して。」
「そっか。でも、私がまだいるってよく分かったね。」
「いや、教室見たらまだ電気がついてたから、もしかしたらお前がいるんじゃないかと思ったんだよ。」
「ふーん。でも、部活抜けてまで来てくれなくてもよかったのに。」
「怒ってんの?」
「…すこーしだけ。」
はふうっとため息を吐いたあとイヤホンをまた戻してしまった。多分俺に部活に戻れとでも 言いたいのだろう。相変わらず、そのイヤホンからは、音が漏れている。さっきの会話だって、 彼女の言い方にはとげがあった。怒っているのは本当なんだと思う。わざわざ気を使って 怒ってないよと言わないあたりが彼女らしい。ごめんと呟いた言葉は、誰に受けとめられる わけでもなく、俺が座っている椅子の下の教室の床に吸い込まれていった。 彼女は時折シャーペンの動きをとめながら、日誌をさらりと書いていく。1限目数学、2限目古典… よくも時間割も見ずこんなにすらすらと書けるものだ。俺なんか、今日何の授業があったかなんて 全然覚えてねーよ!やっぱりここにいても役に立たないかも。部活に戻ろうと思ったけれど、 ほんのすこしちらりと視界にいれた日誌の日直者名のところに、榛名元希、ときれいな 字で並んで書かれてあるのを見ると、腰を上げるに上げれなくなった。 はっきり言って俺の存在は無視されているのだが、彼女のとりまく空気は柔らかい。だから不思議な程 居心地は悪くないのだ。かといって、することもないので、伏せられた彼女の長いまつげをぼうっと見遣る。 まばたきをする度に揺れるまつげ、それが縁どる愛らしい目、オレンジの光を浴びて少し血色よく見える 透きとおった肌、髪をかける度にふわりと香る彼女のにおい、いつもの教室で見かける彼女とはまた違った 魅力が俺の脳に刻まれる。
「俺、のこと好きなんだけど。」
(なぁーんて、聞こえてるわけねえし、意味ねえな。)
そう思いながらふとの手元に視線をおとすと、シャーペンを動かす手が動きをとめている。 さっきから動きをとめることがあったにしても、今回は長すぎる。怪訝に思った俺は、の顔に視線を戻すと、 彼女の目は伏せられたままであったが、彼女の頬は夕陽のせいにはできないほど紅潮していた。 それを目にした瞬間、俺の心臓の動きは早まり、まさかそんなことがあるはずはないと脳内で否定はしたものの、 彼女のつけているイヤホンから既に大音量の音楽が流れていないことに気がつき、あるはずがないことが 起こってしまったと認識せざるを得なくなってしまった。
「…今の、もしかして聞こえてた?」
こくりと頷き、顔を上げたの目をみると少しうるんでいて、赤みをおびた頬を両手で隠すその仕草が とても愛しく思える。本当はまだ告白なんてするつもりなかったけれど、こんなを見れたのでよしと しておこう。そう思わないとやってられない。(これで振られた日にゃあ俺どうすりゃいいんだ!)
「あの…私も、榛名くんのこと…好き!」
視線を泳がせながら、そう言うの言葉に耳を疑い、一瞬息をするのも忘れてしまった。 俺が告白しといて何だが、の言葉をうまく飲み込めずにいた。
「…今、俺のこと好きって言った!?」
今度はちゃんと俺の目をまっすぐ見ては頷いた。
「俺ものこと好き…」
「さっき聞いたよ。榛名くん、変なの!」
そうさ、俺は変さ!何とでも言え!
さっきのは告白するつもりじゃなかったからもう1回ちゃんと言いたかったんだよ!
けれど実際、けらけらと笑うの顔を見るとそんなこと考えてた俺があほらしくなった。 日誌を書き終えたが、「提出くらいしてよね!」と胸に押しつけた日誌を職員室の前で ぱらぱらとめくってみると、今日の出来事に書いてあった一行がこれだ!
夕景のメロディー、
そうやって始まる僕らのドラマ
「おっまえ、ずりぃよ!音楽聴いてるふりしてんなよ!」
「違うよ!たまたま一つのアルバムがあのタイミングで終わっちゃったの!」
「どんだけタイミングいいんだよ!」
「(榛名くんがあんまり見つめるから、期待して音楽とめちゃったなんて言えない!)」