白鳥沢学園の近くにこじんまりとした本屋がひっそりと立っていた。 そこは駅前にあるような本屋とは違って品数が多いわけではなかったが、 欲しいものを手に入れるには困らないくらいの程よい品揃えであった。 他の本屋とは違って試し読みのできるソファが置いてあり、 堂々と立ち読みできるところが本好きの人間にとれば嬉しいところだった。 「ご自由にどうぞ」と貼り紙がされたエスプレッソマシンと紙コップまで置いてあるところが オーナーのこだわりだろう。
は、ちょっと行くとこあるからと家を出た両親に店番を頼まれてレジに座ってはいたものの、 あまりに客が来ないので何か読もうと本を物色する。 気になった本を手に試し読みコーナーのソファにどかりと腰を下ろし、 大人の真似をしてコーヒーを淹れる。コップに口をつけたもののやっぱり苦くて無理だった。

「はあ…お客さんきたらドアベルで分かるし、ちょっと読んじゃお。」

はパラリと表紙をめくる。


…………


白布はこの本屋が気に入っていた。学校の近くというのもあったし、 何よりも人が少なく落ち着いた雰囲気が好きだった。目当ての雑誌を手に取り、 レジに向かうも誰もいなかった。溜息をつきながら試し読みコーナーに移動すると、 店のエプロンをつけたままで本を読みふけっているを見下ろした。

「あの、」

声をかけても気づかない。手元を見るとページは大分と進んでいるものの カップに入ったコーヒーは全く減っていなかった。見た目ばかり大人っぽくなっても こういうところが可愛いなと思う。



初めてと出会ったのは、高校受験を控えた秋だった。学校見学の帰りにふらりとここに立ち寄り、 受験用の参考書を買おうと置いてある場所を探していた。

「何か探してるの?」

そこには自分と同じくらいの年の少女が立っていて、澄んだ目が綺麗で印象的だった。

「…えーと、白鳥沢学園の受験用の参考書を探していて、」
「こっちだよ。白鳥沢、わたしも受けるんだ。2人とも受かればいいね!」

そう自分の腕を掴みながら案内してくれ、振り向いたときに見た目元をくしゃりとさせた笑顔が 忘れられなかった。自分だって思春期の男子なのだ。そんなことされて意識しないはずがないだろう。 だって掴まれた腕がそれからずっと熱を持っている。じりじりじりじり。
無事に高校に入学して彼女の姿を探したが見つけることができず半ば諦めていたが、 たまたま週末に訪れたこの本屋で店のエプロンをつけた彼女がこうやって本を読んでいた。 そのときも目元をくしゃりとさせて笑っていたっけ。

「あ、また会ったね。」

覚えていてくれたことが嬉しかった。どうやらクラスが端と端に離れてしまっていたため 会う機会が全くなかったようだった。聞けば、ここは彼女の家だと言う。 週末は大体店番をしてると聞いたので、仲良くなりたいがために毎週足繁く通ってはや1年以上が経つ。 彼女の手書きポップのついた本を買って読み、この試し読みコーナーで2人でその感想を言い合ったり、 なんなら普通に学校生活がどうだとかいう話もしたり、 そんな関係が好きだったけれどとてももどかしかった。 前言撤回しよう。この本屋が好きというか彼女が好きなのだ。



周りを見渡すと客は自分1人のようだった。 さっき「あの、」とか声をかけたよそ行き用の自分をしまい込む。

「おい、。」
「あ、白布くん。居たの。」
「居たのじゃないだろ。俺客だから。店員がそんなとこでくつろいでいていいわけ?」
「ごめんごめん。この本結構おもしろくてベルが鳴ったの気づかなかったよ。」

そんなやりとりも何回目だろうか。うーんと伸びをしながらレジに向かう彼女の後ろをついていく。 後ろ姿だってあの頃に比べると女らしくなって、細いくびれとかうなじにかかる後れ毛とか 妙に色っぽく感じる。

「800円になりまーす。」

レジで手と手が触れ合ってどきどきしたりして、ああ、もう俺変態かよ、ストーカーかよ。 なんとでもいえ!「またね」と言ってさっき触れ合った手をひらりひらりと振る彼女を見て、 いい加減この関係を進展させたいとも思う。



その日はじゃんけんで負けて月刊バリボーを買いに来ていた。レジに向かうもまた誰もいない。 平日だからいないかもしれないと思ったが、一応見てみるかと期待も込めて 試し読みコーナーに足を向けると彼女は本を片手に寝息をたてていた。 カップのコーヒーが珍しく4分の1ほど減っている。寝ないように努力した結果なのだろうか。 なんとも微笑ましい努力。

。」

声をかけても身じろぎひとつしない。

「俺、おまえのこと好きなんだけど。」

聞こえてなければ意味なんてないかと息を吐きながら彼女の隣に腰を下ろす。 ソファのスプリングが音を立て、少し彼女が跳ねる。おいおいおい、ちょっと待て、 体がこわばっていないか。

「……、おまえ起きてるだろ。」
「……起きてません……」
「起きてないやつはそうは言わないと思うけど。」

溜息をつきながら横目で見遣ると、向こうも目をうっすら開けてこちらを見ていた。

「起きるタイミング逃しちゃった。」

そう言って彼女は本で顔を隠す。自分も赤くなっているであろう顔を両手で覆った。

「寝たふりするなんてずるい女。」
「だって、白布くんのわたしを呼ぶ声がなんだか真剣だったから、」
「真剣だったからなんだよ。」
「……期待するじゃない?」
「期待って…え?」

隠されていた照れた可愛い顔が本からのぞいたと思えば、制服のネクタイがひっぱられる。 こんな近くで彼女の顔を見るのが初めてで、 綺麗な目を縁取るまつげの1本1本まで見えたと思ったら唇が重なった。

「…は?」
「白布くん、変な顔!」

呆気にとられて彼女を見ると目元をくしゃりとさせてしたり顔で笑う。 やられっぱなしは趣味じゃないんだ。彼女の腕を掴むと綺麗な目が揺れる。 さて、今からどうしてやろうか。





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