立ち込めるバニラ

 ”今から行くから”とメールをして既読がつくと返事を待たずに家を出た。が、一応呼び鈴は押す。すると不機嫌極まりない賢二郎が玄関のドアから顔をのぞかせ「まだ返事してないけど」と言いながらわたしを中に入れてくれる。

「今日おばさんは?」
「何か集会があるとかで出て行った。」
「ふーん。」

 小さい頃から何回も来ている白布家はもうすでに熟知してしまっているので案内されるよりも先に賢二郎の部屋へ向かう。階段を上がって突き当たり。部屋のドアを開けるとベッドに直行してダーイブだ!!

「おまえさ、毎度毎度人のベッドに勝手にあがるなよ。」
「いいじゃん!普段使ってないでしょ!」
「それは関係ないだろ。」

 枕に顔を埋めるとほんのり賢二郎の匂いがする。ふんふん嗅いでいると鬼の形相をした賢二郎に取り上げられた。

「嗅ぐな!」
「えー?」
「えー、じゃない!」

 そう言って机に向かって勉強し始めたのでこちらとしては全く面白くない。折角会いに来たのに背中を向けられている。小さかった背中も今では白鳥沢のレギュラーという大きなものを背負っていて、何もない自分に何も言ってくれない幼馴染が羨ましいし妬ましいし、それに寂しいなと思う。なんで2人でいるのに勉強なんてするの、と問いたいところだが別につき合ってる訳でもないのでその台詞は飲み込んで、代わりに勉強の邪魔をしようと思う。

「賢二郎、アイス食べたい。」
「はぁー?こんなクソ寒いのにねえよ。」
「じゃあ買ってきて。」
「自分で買ってこい。」
「買って買って、ねえ買って!」

 しつこく食い下がると仰々しく溜息をついた賢二郎が「うるせー。集中できない。」と言って財布を持って出て行った。なんだかんだ言いながらこうやっていつも言うことを聞いてくれる優しい幼馴染なのだ。

 賢二郎とは家がお隣同士で小さい頃からずっと一緒、いわゆる幼馴染ってやつだ。小学校中学校は当たり前のように一緒のところに通っていたから高校もそんな感じで同じところに行くんだろうなとぼんやり思っていたのに、白鳥沢に行くと聞いたのは賢二郎からじゃなくおばさんからだった。だから一緒にいたくてわたしも白鳥沢を受けることにしたので報告すると「ふーん。」と気のない返事が返ってきた。なんだ、賢二郎はわたしの進路なんて別にどうでもいいんだ、とそれなりにショックだった。それでも段々遠ざかりつつある距離は同じ高校に通うことでどうにかなるだろうと思っていたのに、賢二郎は寮に入ってしまってほぼこの家にはいない。ずっとバレーに明け暮れてて、帰ってくるのは月に1、2回だ。学校でも会話はないので、こうやって賢二郎が家にいるときに押しかけないとわたし達の関係は崩れてしまう脆いもののような気がした。





「……ひゃっ!」

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。賢二郎がアイスの入ったコンビニの袋を頰に押し当ててきたので、冷たさの刺激によって目が覚めた。

「人に買いに行かせといて人のベッドで寝るなよ。」

 そう言いながら賢二郎はベッドのふちに腰かけた。スプリングの軋む音がする。わたしたちを乗せたこのベッドはずっと変わらないのに、シーツは乗り物がいっぱいプリントされた子どもらしいものからシンプルなチェックのものに変わってしまった。

「ありがと。」

 がさがさと袋の中を見ると入っていたのはチョコモナカだった。どうやらわたしの好きなアイスは忘れていなかったようだ。早速封を開けてかじりつく。冬のアイスってなんでこんなにおいしいんだろう。暖房が効いている部屋で食べるアイスって贅沢だなあ、と思っていたら腕を掴まれアイスを持った手に不機嫌な顔をした幼馴染が近づいてきた。

「あ。わたしのアイス。」

 言うよりも先にかぶりつかれる。口の端についたアイスをペロリと舐める顔は無駄にかっこいいので至近距離で見せないでほしい。

「買ったのは俺だから俺がどうしようががとやかく言う権利はない。」

 何かジャイアン的考えだなあと思いつつもわたしはアイスを食べることはやめない。昔はもっとかわいかったのにな。ちゃん、これあげるね、とか言ってた気がする。昔のことを思い起こしていると不機嫌なままの賢二郎がまた顔を近づけてくる。もうあげないから、と思ってアイスを遠ざけたが目的はアイスではなかったらしい。鼻と鼻が触れ合う距離に賢二郎の顔があったので、びっくりしてぎゅっと目を瞑ると「ばーか。」と言われ、イラっとしたわたしは目を開け腕を振り下ろそうとしたが、その腕は掴まれ肩を押されベッドに縫いつけられた。アイスの行方が気になるところであるが、目の前の幼馴染はそれどころではないらしい。とても不機嫌だ。眉間にしわがいっぱいだ。

「なあ、昨日一緒に帰ってた男誰?」
「昨日?」

 今日はあまり頭をつかってないので記憶を辿るのに苦労する。賢二郎との昔の出来事はすっと出てくるのに昨日のことがなかなか思い出せない。でも確か昨日は委員会があったのでたまたま帰り道が同じ方向の同じクラスの男子と途中まで一緒に帰ったはずだ。賢二郎を見ると焦っているようにも見え珍しいなと思う。なんで焦る必要があるの?わたしのことなんか振り返りもせず先々進んでいったくせに。

「別に賢二郎には関係なくない?」

 そう言えばわたしを掴んでいる手にさらに強く力を加えた。”男の人”になりつつある幼馴染にそんなふうに掴まれるとさすがに苦痛で顔も歪む。

「痛っ………んっ……」

 息を攫うように強引に唇を塞がれる。力任せに押しつけるだけのキスだったけど、何か進展があればと期待していたわたしには嬉しいものだった。唇を離してわたしを見下ろす賢二郎の目には相変わらず焦燥感が浮かんでいる。ねえ、それって嫉妬でしょ?

さ、昔した約束覚えてる?」
「約束?……さあ……」

 賢二郎は血が出ちゃうんじゃないかというくらい唇を噛み締めている。正直に言えばいいのに、わたしのことが好きだって。そしたらわたしも言ってあげるのに。わたしも賢二郎のことが好きだよって。忘れてないよ、ずっとずっと一緒にいようねって約束したじゃない。でも離れていこうとしたのは賢二郎でしょ?

「俺も男だって分かってんの?」
「分かってるよ。」
「今から何されるか分かってんの?」
「分かってるよ、しつこいな。」

 明らかにイライラしている賢二郎はまたわたしの唇を塞いだけれど今度は先ほどとは違って深く深く口づけた。息をしようと口を開けば舌がねじ込まれ、苦しいから賢二郎の胸を押し返そうとすれば後頭部を押さえられ、もう必死にしがみつくしかなくて賢二郎の首に手を回せば、そんなに焦っている賢二郎がどうしようもなく愛しく思えてくる。わたしはどこにもいかないのに。顔を離した2人の唇はどちらの唾液で濡れているんだろうか。賢二郎はわたしの首元に顔を埋めながらセーターの中に手を差し入れたので、賢二郎の手の冷たさのせいなのか、触られたことによる気持ちよさなのか分からないけどけれど全身が粟立った。耳元で囁かれるのもぞわりとする。

、俺はおまえのこと好きだから。」

 わたしもだよ。でもそれは全部終わってから言ってあげる。ずっと追いかけていたのに振り返ってくれなかったあなたへの精一杯の仕返しだから。溶け出したアイスの匂いがどろりと鼻いっぱいに広がり、軋み始めたベッドの音が生々しい。けれどそれは不器用なわたし達の恋が始まる音のように思えてとてもとてもかわいかった。