砂糖漬けのラムネ

 隣の席の白布くん。彼はとてもクールビューティ。光を透かす色素の薄い髪が、時折窓から入るこの時期特有の青い風でさらりと揺れる。なめらかな白い肌は濡れた絹のように艶やかでしっとりしていそう。授業中の受け答えもスマートで、いつ何時も冷静だ。凛とした佇まいがきれいだと思った。
 でも、わたしは彼がとっても怖かった。
 一年のときから噂は聞いていた。かっこよくて勉強もできてスポーツもできる男の子がいるよ、と。そんな完璧な人間いるんだと思って、友人に連れられて見に行ったこともある。確かに、見た目はいい。勉強もいつも成績上位に名を連ねている。スポーツも体育祭や球技大会を見ている限りでは活躍していたし運動神経もいいんだろう。
 そんな彼と同じクラスになって、まさか隣の席になるなんて思いもしない。こんな完璧人間が近くにいると緊張もする。けれどクラスメイトとして仲良くやっていきたいとも思っているので「よろしくね」と声をかけたのに、ちらりとわたしを一瞥したあと笑顔もなしに「よろしく」と言って前に向き直ってしまった。
 人見知りなんだろうかと思ったけどそんなかわいいものじゃなかった。挨拶は目と目を合わせてしてくれるけど、わたしと会話を発展させる気は全くない。確かにどうでもいい話をふっている。昨日見たテレビの話とか天気の話とか。でも彼は「ふーん」とか「あっそ」しか言わないし、表情の変化もない。わたしの話は彼にとってみれば無益で面白くないんだろう。けど、友達とする話ってそういうもんじゃないのか。つまり、わたしと友達になるつもりはないということだ。
 いくら見た目が良くたって、何でも出来たって愛想がなければ意味がない。馬鹿にされているような気がして惨めな気持ちにさせられる。だから、わたしは怖いのだ。
 進級して一ヶ月弱が経つ頃には、わたしも挨拶はするけどそれ以外の会話を頑張ることは諦めてしまった。そんなときに彼と日直をすることになり、わたしは頭を抱えた。会話も成り立たないのにどうやって乗り切ればいいの。
 そう思っていたけど、さすが白布くんというところだろう、スマートに日直の仕事をこなし、わたしがやった事といえば、黒板消しと日誌を書くことぐらいだった。

「ねえ、白布くんって下の名前なんていうの?」

 日誌を書き始めた手が早速とまる。白布くんの名前が分からない。極力話したくなかったけど仕方がない。愛想はないが律儀なのだろうか。放課後にわたしが日誌を書くのを本を読みながら待っている白布くんが、顔を上げてこちらを見た。

「貸して。」

 シャーペンを持っていたわたしの手からそれを取ろうとした彼の指先が、微かにわたしの指先に触れる。冷たいとばかり思っていた彼の指が予想以上に熱くて驚き、勢いよく手を引っ込めてしまった。カランカランとシャーペンが床に落ちる。白布くんは眉をひそめながらそれを拾った。

「そんな驚かなくても。」
「あ、ごめん。」

 無表情以外の表情の変化を見るのは初めてかもしれない。それが意味する感情は深く読み取れないけど、何だか傷ついたような顔をしているように見えて、すごく悪いことをしてしまったような気がした。
 彼がシャーペンをはしらせているのを見ていると、几帳面そうな文字が並んでいき、一画一画をおろそかにしない感じが白布くんらしい。

『賢二郎』

 名は体を表すとはこのことだろう。知的、聡明、堅実。白布くんはまさに『賢二郎』だ。

「白布くんらしい素敵な名前だね。」

 思わず口に出てしまうくらい不思議と感動してしまった。白布くんは名前を書き終え、驚いたように顔を上げて目をまんまると開いている。髪の毛と同じように透きとおった彼の瞳に映るわたしは思った以上に穏やかな顔をしている。あんなに怖いと思っていたのに。
 そして白布くんは俯きがちに、ふと笑みをこぼした。そのきれいな笑顔に息をすることも忘れてしまう。彼の長い睫毛がまばたきの度に揺れている。

さんのって名前もいい名前だなってずっと思ってた。」

 わたしは自分の名前を嫌いだと思ったこともないし、特別好きだと思ったこともない。強いて言うなら意識したことはなかった。なのに、白布くんに褒められた途端にものすごく特別で意味のあるものに思えてしまって、わたしって単純だなと思う。

 あれからわたしの心の一部分には白布くんの居場所ができてしまったようだ。授業中、ノートにふと『賢二郎』と書いてみる。わたしがその名前を書いてみても、白布くんが書いた端正な文字にはならず丸っこいてんとう虫みたいな文字が並ぶだけだ。こんなの『賢二郎』じゃないや。消そうと思って消しゴムを探すけど、こんなときに限ってなかなか見つからない。おかしいな、ペンケースに入れたはずなのに。探しているうちにチャイムが鳴ってしまった。
 まあいいや。あとで消そう。パタンと教科書とノートを閉じ、次の授業の準備をし始めると、白布くんの名前をノートの端に書いたことなんて頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。

さん、数学のノート見せて。」

 放課後を迎えて帰りの支度をしていると隣の席から抑揚のない声が聞こえる。白布くんは相変わらず無愛想。一緒に日直をした後も全く変わりはない。この人、何でわたしのノートが見たいんだろう。いつも自分でノートとってるのに。疑問に思っていることは全て顔に出ていたらしい。白布くんは「寝てたから」と言ってわたしに右手を差し出している。
 寝てたっけ?めずらしいな。でもまあ寝てたのなら仕方ないか、とノートを手渡す。白布くんはパラパラとわたしのノートをめくりながら写し始めたので、わたしはぼんやりとそれを眺めながら、ポケットに入っていたラムネ味のキャンディを口に入れた。
 相変わらずきれいな字だな。長くてしなやかな指がまたノートをめくる。めくった先に目に入ったもの。それは丸い字で書いた『賢二郎』と言う文字。

「あっ!」

 反射的に立ち上がって両手でそこを押さえる。背骨を変な汗がつうっと流れていく。白布くんはびくりと肩を揺らして、眉をひそめてわたしを見上げている。これが表す感情は何だろう。苛つきかな?

「何、急に。邪魔。」
「ちょっと待って!一旦返して!」
「は?もう少しで終わるんだけど。」

 人に借りといてこの態度はないだろう。ノートを押さえているわたしの手を退かそうと白布くんの手がぐいぐいとめり込んでくる。ダメだ。負ける。こんなに力強く手を握られてしまうとわたしの心臓がもたない。
 ノートを勝ち取った白布くんは『賢二郎』と書かれた部分を見て動きを止めている。ああ、恥ずかしくて死にそう。顔から湯気が出そう。手まで汗がじんわり滲んで、ぬるい手のひらで顔を押さえてみても顔の熱は全く冷める気配はない。
 白布くんも白布くんで、いつもの透き通るような白い肌が血色よくピンクに色づいていて、はっとした顔をした後机に突っ伏してしまった。

さん、俺、4日誕生日だったんだけど。」

 白布くんが顔を隠しているせいで声がくぐもってしまっている。顔を見られなくてすんでるのは助かるけど、何の脈絡もない話題に頭が混乱する。何かあげるもの、何かあげるもの。カバンやポケットをがさがさ漁ってみても、わたしが食べているラムネ味のキャンディしか出てこない。

「ごめん、これしかない。」

 キャンディを差し出せば、顔を上げた彼に手首ごと掴まれて逃げる術を奪われる。眉をひそめたその顔は口を一文字に引き結んでいるくせに、頰が赤いせいで全然怖くない。
 いつもの無表情はどうしたの。早くいつもの白布くんに戻ってよ。じゃなきゃ、わたしの気持ち、ぐんぐん加速していっちゃう。

さん、数学苦手だろ?」
「えっ!え?」
「問二、間違ってる。」
「嘘!?」

 何か色々恥ずかしい。間違った答えを書いてるノートを見られたことも、もちろん『賢二郎』と書いてるのを見られたことも、それに手首を掴まれて距離を詰められてることも。
 お願いだから、それ以上顔を覗き込まないで。お願いだから、それ以上顔を近づけないで。これ以上は、わたしの気持ちが溢れ出て止まらなくなってしまうから。

「だからもうすぐ中間テストだし、一緒に勉強しよう。それがプレゼントってことでいいから。」
「え?何?どういうこと?」
「これ以上は恥ずい。お願いだから、察して。」

 混乱したままこくこくと頷くと、掴まれていた手首が離される。そして、赤みが差した顔を隠すように口元を覆っていた白布くんのもう片方の手が、わたしのあげたキャンディの包み紙をあけようと動き始めた。心なしかホッとしたような表情だ。
 察しろって何?ちゃんと言ってくれなきゃ分からない。でも今日はそれを聞ける余裕なんてない。
 白布くんの薄い唇にラムネ味のキャンディが触れる。わたしと白布くんの口の中はおんなじ味が広がっている。それが何だかたまらなくくすぐったくって、たまらなくわたしの温度を上げるので、思わず残りのキャンディをがりりと噛むと、爽やかな香りが二人をふわりと包み込んだ。







白布くん HAPPY BIRTHDAY !!