心臓の膿

 学級委員なんてやりたいわけじゃない。でもいつもいつも投票で選ばれてしまうのでやらないわけにはいかなかった。とりあえず成績が良ければ何とかしてくれるでしょ、そんな安易な考えに反吐がでる。成績が良くたってクラスをまとめられる力があるかといえば必ずしもそうでないのに。元々人見知りで慣れないうちはどうしても無愛想になってしまう。だからって気取ってるわけじゃないのに、忘れ物を取りに来た自分のクラスの前で男子たちが自分のことをそう話しているのを聞いた。「あいつ、気取ってるし言うこと聞きたくない」だなんて、さっき騒いでて意見出さなかったグループのやつらだなと心当たりがあった。みんな真面目に考えていたのにうるさかったから担架切ってしまったのだ。あーあ、忘れ物に気づくんじゃなかった。一旦話が落ち着くのを待とうかなとドアに手をかけようとしていた手を下ろしたとき、わたしの耳は心臓を跳ね上がらせる言葉を拾った。

「え?キミたちが投票したのにそういうこと言うのおかしくない?ちゃん一生懸命がんばってるのに騒いで話聞かないのキミたちじゃん。」

 ざわついていた教室がしーんとなった。天童くんの声だった。何だか目頭が熱くなってきたから湧き出てくるものがこぼれ落ちる前に教室のドアを音を立てて開けた。すると、口々に「やべ」と言いながら教室を出ようとするので言ってやったのだ。

「男のくせに陰でコソコソ言うとかかっこ悪。」

 天童くんは盛大にふきだした。男子たちは苦虫を噛み潰したような顔をして出て行ったけど、どうせ外でもウダウダグチグチ言うのだろう。でもどうでもいい。この人が言ってくれた言葉が自分を奮い立たせてくれた。「ちゃんはがんばってるよ」と言いながらぽんぽんと頭を撫でてくれたから、溢れそうになっていた涙が堪えきれずに流れていった。泣きやむまで側にいてくれたけど、何も言わないでいてくれたことがとてもありがたかった。

 天童くんはあまり友達とは群れないらしい。あの出来事があってから天童くんを目で追うようになって気づいたことだった。そのときそのとき、自分が話したい人に話したいことを話しに行く。とても自由で憧れた。人見知りで無愛想でなかなかクラスに馴染めない自分には眩しい人だった。そんな自分にも彼はよく話しかけにきてくれていた。勉強のことだけじゃなくて、どうでもいい話とか。クラスの女の子たちからは「天童って何考えてるか分からなくて怖くない?」って聞かれたけど「優しいよ。」と答えると驚いた顔をされた。そうやって上辺だけで人を見るからその人の良さが分からないんだよ。でも、天童くんが優しいことを知ってるのはわたしだけでいい。
 けれど時に光とは影をつくるもので、彼と一緒にいると自分の中の暗い気持ちを際立たせることが多々あった。わたしに話しかけてくれるのだってどうせ同情でしょ、とか。わたしの反応をみてからかってるだけでしょ、とか。本当はそんなことないって分かってるのにそう一度思ってしまうと自分が惨めに思えてくるのだった。
 今日も今日とて彼は帰ろうとしていたわたしを引き止めて今日の夜に放送されるテレビの話をしていた。「おもしろいから絶対みてね!」だって。普段あまりテレビを見ないわたしが曖昧に頷いているとこの前ウダウダ言ってた男子たちがヒューと口笛を吹きながらわたし達をひやかして出ていった。

「何、あれ?小学生かっつーの。」
「ん〜まあでもあいつらの気持ちも分かるよ〜。」
「え?」
「だってちゃん、あいつらのこと下に見てるでしょ。だから突っかかってくるんだよ。」

 図星だった。あいつらと自分は違う。あいつらだけじゃない、クラスメートたちと自分を線引きしているのは自分自身なのだ。だって成績優秀で品行方正で学級委員の自分は周りとは違う。そう思わないと自分を保ってられない臆病で弱いわたし。

ちゃんは人見知りだからって言うけど、結局自分で壁作ってるよね〜。」

 やめて、わたしの心にそんな簡単に爪を立てないで。引き裂かれて丸裸にされてしまう。ずっと隠してきたのに、強いふりをしてきたのに。

「結局天童くんもあいつらと一緒なんだ。今までだってわたしをからかって楽しんでただけなんでしょ。」

 心の内を暴かれたくなくて必死に放った抵抗の言葉。それなのに彼はニタリと笑って一枚一枚皮を剥いでいくようにゆっくりと唇を動かす。

ちゃんさ、そういう思ってもいないこと言ってるといくら優しい俺でも怒っちゃうよん。」

 目を細めて見下ろす天童くんに鷲掴みにされてしまったわたしの心はもうとっくに限界だった。じわりじわりと溜まっていた膿のように出てくるのは涙だった。

ちゃん俺のこと好きでしょ?」
「嫌い。」
「そういうことは素直に言わないと俺ちゃんのこと嫌いになっちゃうよ。」

 目のふちに溜まっていた涙がぽろりと流れ出たとき、天童くんがわたしの頰に触れた。どうしてあなたの手はそんなに温かいのに、その唇が紡ぐ言葉は鋭利な刃物のように冷たくわたしの心を抉るの?それでもその涙を拭う優しい指先がわたしの心を掴んで離さない。

「……嫌いにならないで。……好き。」

 そう答えれば、満足した笑顔を見せていい子いい子するように頭を撫でてくれた。

「よく言えました。俺はいつも必死にがんばってるちゃんが好きだよ。必死に自分を隠してるちゃんが好き。それを暴いていくこともね。」

 腰を屈めてわたしの顔を覗き込む天童くんは何もかも見透かすような目をしていた。きっと最初からこの人の前では裸同然だったのだ。

ちゃんはどうして俺のことが好きなの?」
「天童くんは……優しくて眩しいから。」
「俺はね、別に優しくもないし光でもないんだよ。現にこうやって俺に嫌われたくなくて泣いてるちゃんの顔を見るとぞくぞくする。」

 獲物を捉えるように視線が絡まる。もうきっと逃げられない、逃げたくない、逃さないで。

「それでも俺のこと好きなら証明して。」
「どうやって?」
「真面目な学級委員のちゃんは俺のために校則おかせるかな?」

 こくりと頷いたときの天童くんの顔はとてもきれいに笑っていた。妖艶な笑みってこういう笑みなのかもしれない。

「じゃあ手始めに校内で不純異性交遊でもしてみよっか。」

 腰を撫でながら端正な顔が近づいてくるのでわたしは意を決して目を閉じた。校則なんてどうだっていい。早くわたしにいっぱい触れて早くわたしの中の膿をしぼりだして。