3、2、1で狙い撃ち

ちゃーん!ちゃんはどれ食べたい?」

 天童が手にしているジェラートのお店のチラシが、教室の窓から入る風によってわたしの目の前ではためく。今日、これから駅前に新しく出来たというジェラートのお店にクラスメイトの天童と一緒に行くことになっていた。
 ただのクラスメイトであり、ただの男友達だ。みんなが期待するような仲ではない。その彼が、どうしてわたしを誘ったのか。それを知るには、今から二週間ほど前まで遡らなければならない。





 中間テスト一週間前。どの部活も休みになり、勉強を優先させなければならないその期間に、わたしは自分の教室で残って勉強していた。図書室の空気がわたしは苦手だった。しーんとした空間には本のめくる音とペンを走らす音しか響かなくて、喋ることが許されない。わたしは開け放たれた窓から近所の子供が走り回る声とかお豆腐屋さんのベルが鳴るのを聞くのが好きだった。だから、教室の自分の席にのんびり腰を落ち着ける。ゆったりと文字を書いてゆったりと伸びをする。
 そこへガラリと勢いよく扉を開けたのが天童だった。忘れ物を取りに来たらしい天童はわたしに絡むのを忘れない。

ちゃん、丁度よかった!化学教えて~ん!」

 わたしの前の席に後ろ向きに座った天童はワークを広げ「ここ、ここ」と長くて骨ばった男の子らしい手で指差した。
 この天童覚という男は、人の心の隙間に入り込むのがうまかった。だから天童と一緒にいるときが一番楽で、自分らしくいられた。女の子同士で感じる変なしがらみもないし、相槌の加減も絶妙で。聞けば、昔、色々あったみたいで、悲しみを知ってるから優しくて、人の気持ちが痛いくらいに分かるのだと思った。普段はこんなフザけた奴だけど。
 そもそもどうしてわたしと彼が仲良くなったのか。きっかけはわたしが食べきれなかったプリンだった気がする。それを近くにいた天童にあげたのだ。それからどうも懐かれたらしい。むしろ今はわたしの方が懐いてるだなんてくやしいから言ってやらないけど。

「あのね、わたしもそんなに得意ってわけじゃないから」
「うん?じゃあ一緒に考えようよ」

 可もなく不可もなく。それがわたしの成績だ。教えろと言われても説明できるほどの技量は持ち合わせていない。あーでもない、こーでもない。二人で考えていたはずなのに、天童のノートには誰かの似顔絵が描かれていた。

「見てー!これ、ちゃん!」
「ちょっと!わたしそんなにメルヘンじゃないから!てか勉強しないなら帰ってよ!」

 そこにはきらきらの大きなおめめにくるくる髪の女の子。消しゴムを掴み、ノートを引ったくって乱暴に消す。少しシワになったけど仕方ない。その様子をやれやれといった風に眺めていた天童は急にピンと何かを閃いたような顔した。

「ねえねえ、俺が化学で平均点以上取ればご褒美くれない?」
「何でわたしが」
「いいじゃん!俺を、鼻先ににんじんをぶら下げられた馬だと思ってさぁ」

 天童の前ににんじんが吊られているのを想像してつい笑ってしまった。よく分からないけど、了承しないと自分の勉強すら進まない状況だったので頷くを得なかった。

「やったね!俺本気出しちゃお」

 ゲンキンな奴。わたしからのご褒美が貰えるかもしれないというだけでこんな満面の笑みをいただけると、悪くない気分だ。でもいつもの感じだと平均点は無理だろう。わたしは完全に油断していたのだ。
 そして返却されたテストが本当に平均点以上だったときの天童の顔といったらもう……わたしの目の前で答案用紙をペラペラと見せびらかすその顔は最高のしてやったり顔だった。ご褒美って何言われるんだろうと少し恐ろしくなってきたところに、このジェラートのお店に一緒に行こうとの提案。拍子抜けである。





「えー?ちょっとゆっくり考えるー!だってどうせ並ぶでしょ?」

 たくさんのメニューの中から今すぐにコレとは選べない。それに地方雑誌に載るような出来たばかりのオシャレなお店だ。平日だとしても並ぶに決まってる。

「そ?俺はチョコだけどね」
「分かってる分かってる」

 いつもあれだけチョコアイス食べてるのに飽きないのが不思議だ。スクールバッグを肩にかけながら未だにチラシを両手で摘んでいる天童を急かすように背中を押して教室を出た。
 外は暑い。歩けばじんわりと汗がにじむ。でもからりとしていて気持ちいい。隣を歩く天童の長い足が前を向いていても視界に入ってくる。それが何だか不思議な気分。そういえばこうやって学校の外を二人で歩くのは初めてのことだった。
 駅前まで来るのは久々だ。一応煩悩とおさらばして勉強をがんばっていたのだ。ストレス解消に買い物もしたい。かわいい夏服も店先にたくさん並んでいるだろう。ウィンドウショッピングも楽しむように店の中をのぞき込んでいると、ふと天童が足を止めた。

「これ、ちゃんに似合いそうだね」

 ピンクのオフショルダーのブラウスにデニムスカート……かわいいけどわたしにはハードルが高そう。だって、なかなか結構露出が高めなのだ。夏に流行るっていっても無理。恥ずかしさが勝つ。

「でもやっぱりこういうのは俺の前だけで見せてほしいよね!」

 天童は何も言わないわたしを置いて、ルンと軽やかな足取りで先に進む。さらりとすごいこと言われたような気がして、咀嚼するのに時間がかかった。えーっと……つまり、これを着たわたしを独り占めしたいということでよろしいでしょうか。
 ここまで考えたところで、友達としてしか見てなかった天童が急に『男の子』に見えてじっとしてられなくなった。天童が先を歩いててよかった。少し頬に熱を持ったこの顔を見られなくて済むから。

「何食べることにしたの?」
「んー……天童は他に何食べてみたい?」
「俺?俺は……ずんだかな!」
「じゃあそれにする」

 変わり種の味も悪くないか。あとで交換してチョコも食べさせてもらおう。行列に並びながらわいわいと取り留めもない話をしながら順番を待つ。動くのをやめると空気の流れが滞って余計に暑く感じてしまう。きっとジェラートがとてもおいしく感じるだろう。

「あっ!天童待って!お金はわたしが出すから!」
「なんで?ここは男が出すとこでしょ」
「だって、天童、つい最近誕生日だったじゃん」

 お財布を取り出した天童の手を押し戻す。ちょうど中間テストの日に被ってしまった天童の誕生日。何もしてあげられなかったから、これくらいのことはさせてほしい。テストにいっぱいいっぱいで、おめでとうすら言えなかったのだ。

「覚えててくれたの?」
「当たり前!友達でしょ!」
「ふーん……友達ねぇ……」

 受け取ったジェラートを天童に差し出しながら公園のベンチに腰かける。早くしないと溶けちゃう。つけてもらったスプーンでジェラートをつつきながら、隣の天童を見ると豪快にかぶりついていた。

「こういうのは思い切ってかぶりついたほうがうまいんだよ」
「そうなの?じゃあ……」

 わたしも負けじとかぶりつく。うん、確かにそんな気がするぞ。不思議だな。唇についてしまったジェラートを舌で舐めとっていると天童が不敵に目を細めた。

「引っかかったね」
「え?」

 ジェラートを持った腕を掴まれ、天童の横顔が視界いっぱいに広がる。その口が、さっきわたしがかぶりついた部分をかぷりと覆う。目の前で喉仏が上下するのを見せつけられ、至近距離で挑戦的な目をぶつけられる。

「これで俺のこと意識したっしょ?」

 かぁっと全身が熱くなって、冷たいジェラートも役に立たない。ダメの一押しだ。意識はマネキンの前でしてしまってる。きっと天童もわかってる。そういう奴なのだから。

「ばかっ!」

 思わず立ち上がって歩き出すと「ちゃん、かわいいねぇ」だなんて言いながらペタペタと後をついてくる。その足音がわたしだけのものになるまであと少し。初夏の日差しがジェラートを少しずつ溶かしながら、わたしたちの新しい始まりを告げていた。







天童くん HAPPY BIRTHDAY !! 遅れてごめんね!