寄り道、脇道、迷い道

 出来ればこんなふうに知りたくなかった。傑とこの女がどういう関係かということも自分がこの女に抱いている気持ちも。
 夏が衰え始めていることに気がついたのは、任務で赴いた小学校の花壇に植わっていた向日葵がかさつき、その首がもげそうになっているのを見てからだった。それもまた自分の術式に巻き込まれて無残にもバラバラになってしまったけれど。
 飛び散ったいくつかの種をポケットに突っ込んでコンビニに足を向ける。クソ暑い中呪霊を祓ったというのに涼しい寮の部屋へ戻ることは許されず、午後からの授業を受けることを強制されている。ならばせめて嫌がらせぐらいしてもいいだろ。傑の買ってきたお土産をいつももらったそばから頬張っているあの女に「ほーら餌だぞ」とこの種を目の前でちらつかせてやれば一体どんな顔をするだろう。カマトトぶって「えーん五条先輩が意地悪するんですぅ」と傑に言いつけるのか、憤慨して拳を振り上げるのか。さっさと正体を現せばいいのに傑の前ではかよわい振りをするから、毎度毎度揶揄った俺がたしなめられて納得できない。今日こそ化けの皮を剥いでやると心に決めて、コンビニで買ったアイスを大口でかじり取った。
 結果から言えばそのアイスは何の気休めにもならなかった。汗がひいたのは食べ終わった瞬間だけで、高専に着く頃にはすっかり元どおり。こめかみを伝った汗が顎の先からぽたりと落ちて、暑苦しい制服がからだにまとわりつく。まじでだりぃ。このままさぼってしまおうぜと頭の中でもう一人の自分が囁いている。その欲に忠実に、張りついたシャツの襟元をパタパタさせながら空き教室に続く長い廊下を歩いてゆく。
うるさかった蝉も今は絶え絶えに命を乞うている。そのわずかな隙間からねだるような湿っぽいささやきが聞こえて俺は思わず足を止めた。ちょうど、高専に戻っていることを傑に連絡しておくかと米粒程度の良心が顔を出したときだった。
 真昼間から誰かが盛ってやがる。こちとらクソだるい任務帰りで汗だくだというのにいいご身分だ。ちょっと揶揄ってやろう。思えば、そうやって鬱憤を晴らそうとしたずるさがいけなかった。
 音になり損ねた声の出所である空き教室の扉は、覗いてくださいとばかりにいい具合に開いていた。何の躊躇いもなく、無防備なまま中を覗き込む。欲の足音に距離を詰められたみたいに急かされて。

「んっ…、せんぱ、い……だめです、」
「だめっていう顔には到底見えないけど」

 顔が見えずとも二人の正体が分かってしまう。日の光をめいいっぱい吸い込んだ白いカーテン裏の逢瀬。情緒を持ち合わせていないと散々言われる俺でも息を飲む、うつくしく拙い影絵。靴下を脱ぎ捨てたむき出しのつま先が風ではためくカーテンの端からちらちらと見え隠れしながら、時折心もとなく揺れている。俺はらしくもなくぼうっと立ち尽くしてその光景に見入っていた。
 何も聞いちゃいない。二人がこんな関係だということ。女がひとつ声を漏らす度に俺の心の底に澱みができる。ぽたりぽたりと落とされる墨汁のように。別に全部話してくれとは言わないけれど、今まで聞いたことのない女の声がそうさせた。一番最初に己の心に色をつけたのは憎らしさだった。

「やぁ、……」
は相変わらずここが弱いな」

 持ち上げられた女の膝裏に男の舌がぬるぬると這うと、女のからだがびくりと跳ねた。つま先がぴんと伸びて、射られる寸前の弓のように背中が反り返る。その流線形は女の欲望のかたちだった。
 男の頭が膝裏から柔らかそうな丸みに沿って女の芯に近づいてゆく。あんなにいやいやとかぶりを振っていた女も長いスカートを自らたくし上げて、やがて男の頭はスカートの裾に潜り込んだ。
 苦しげに息をする女が酸素を求めて首をそらせる。肩にかかっていた長い髪がはらはらとこぼれ落ちる様に目を奪われていると、生温い風が吹いてカーテンが膨れ上がった。女のからだのようにうねるカーテンから眉をひそめた横顔がついに姿を現す。上気した頬、血色のいいくちびる。苦しんでなんかいない。紛れもなくよろこんでいる女の顔だった。故意なのか無意識なのか見せつけるかのような表情にいつもの飾られた少女の影は見当たらない。ありのまま、裸同然のだった。
 まるでそこらへんに転がっている蝉の抜け殻にでもなった気分だ。薄っぺらいその女の皮を剥ぐのは俺なのだと信じて疑わなかった自分に反吐がでる。今となってはその自信が一体どこからきたものなのか分からない。だって元からそうだったのだ。懐いていたのは俺じゃなくて傑だったし、俺の前じゃ可愛い子ぶる必要なんてないと言わんばかりの憎たらしい態度だった。
 野次る言葉が見当たらない、完全敗北だ。そしてようやく自覚する。傑に対してだけころころと色を変える意味、俺にはたった一色だけしか見せない意味。それを愛しいと思っている傑、それを羨ましいと思っている自分。隙だらけのからだに現実の波が襲いかかってくる。
 それに応戦しようとポケットに手を突っ込んで入れっぱなしだった向日葵の種をじゃらじゃらと弄ぶ。憧憬、憎悪、羨望、嫉妬。そのどれもが間違いで、そのどれもが正しかった。感情がないまぜになった白黒模様の心臓はまるでこいつだ。根を張って、芽を出して、醜態をさらさぬうちに捨ててしまえばいい。
 そうっと窓を開けるとわずかに吹いた風がこめかみの汗を攫った。そこから放り投げた向日葵の種が澄み渡る青空に放物線を描いてゆく。ごうごうと燃ゆる太陽のもと、跡形もなく燃え尽きてしまえ。想いを捨てるのは容易いことだと思いながらその場を後にする。呪いを祓う呪術師である俺が、そう簡単にいかないことを一番分かっていたはずなのに。
 あと五分で午後の授業が始まる。あのままあいつらセックスすんのかな。だとしたら授業には出ないだろう。そのうえ俺もサボって硝子を一人にすると後々面倒なことになりそうで結局教室に向かうことにする。なんで俺が気つかわなくちゃいけないんだ、と不満はあるが覗き見した後ろめたさもある。
 運が悪かった。犬も歩けば棒に当たる。悟も歩けばセックスに出会う。はぁ、しょうもねぇ。そんなもんに出会ってたまるかよ。
 顔を歪めながら教室の扉をがらりと引く。傑はもちろん硝子もいない。どうせぎりぎりまでニコチンの摂取に忙しいのだろう。
 苦しそうな蝉の鳴き声を聞きながら自席に座り頬杖をつく。ああ、やっぱりサボればよかった。まばたきをする度まぶたの裏にさっきの光景がちらついて気が散ってしまう。昨日何をおかずに抜いたっけ。思い出して上塗りしようと机に突っ伏した瞬間扉が開かれる音がした。

「あれ? 悟、帰って来ていたのか」

 するはずのない声がして思わず上体を起こすと、眉を上げ少し驚いた顔をした傑が立っている。

「なんだよ。続きしなかったのか? それか、おまえ早漏なの?」

 後ろめたさをさっさと消してしまおうという魂胆であけすけに物を言ったにもかかわらず、傑は特に気にすることもなく自席へと向かった。おっはー、今日も元気? みたいな軽い態度だったから、傑も元気だよと頷くように恥ずかしげもなく「ああ」と返事をして俺の隣に腰を下ろす。

「あれ、悟だったのか。ちなみに早漏ではないよ」

 あそこまでやっといて最後までやらない奴の気が知れない。それにイイところで寸止めされる女の気持ちを考えてもいたたまれない。それともそういうプレイなのか。覗かれていたことに気づいていたことを示唆するような口ぶりだし、結局のところその行為を見せつけていたのだ。こいつも相当性格が悪い。

「ああいうのはもっと上手くやれよ。俺が優しくてよかったな」
「声かけてくれたらよかったのに」
「はあ?」

 声なんかかけられるか。苛ついた顔を誤魔化すこともせず傑を見れば思った以上に好戦的な目をして笑っている。喧嘩をふっかけられているのだと思った。だけどいつも以上に心は冷静だった。傑は余裕そうに唇の端を上げているけれど、どうしてか余裕があるようには見えなかったのだ。その理由が何なのかはっきりせず、小骨が喉に引っかかったような不快感が胸の奥から滲み出す。

「それとも声かけられない理由でもあった?」
「なに、声かけたら3Pでもさせてもらえたわけ?」
「いや、それはさすがに嫌かな」

 その言葉にはしっかりと独占欲が存在しているのに、傑の真意が読み取れず苛々が募る。回りくどいこいつの言い方には毎度毎度腹が立つ。もっと本能的に自分に正直であればいいのに、とかなり前から思っていた。取り繕った言葉なんか俺たちの間では何の役にも立たないのだから。
 話していても埒があかないと思った俺は頬杖をついて教卓の方へ視線を遣る。それを合図に傑は長く息を吐き出した。やれやれといったふうな溜息はこいつが話の核心に触れるときの癖みたいなものだった。

に見惚れた?」

 ようやく真髄にたどり着けるのだと多少備えていたものの、傑の言葉は俺の動揺を得るには十分な威力を持っていた。思わず手のひらから頭を持ち上げ傑を見れば、にこりと人のいい笑顔で俺をまっすぐに見つめている。人のいい? いいや違う。こいつは度々こうやって感情を透かすことのない胡散臭い顔で笑うのだ。

「だーれがあんな女に。おまえもほんっといい趣味してるよ」

 どうしてバレた? 背骨に沿ってひやりとしたものが駆け上がったことを誤魔化すために、どかりと背もたれに体重を預け天井を見上げる。傑はくすくすと笑って俺から視線をはずし、目を伏せた。

「君に言われたくないな」
「どういう意味だよ」
「そういう意味だよ。やっと自分の想いに気づいたのかと思ったんだけど違った?」
「意味分かんね。想いもなにも、はなから興味ねえわ」
「悟は素直になればもっと事がうまく進むのに、きっとそれが君の性分なんだろうな」

 ムカついた。俺よりも俺を知っているような言い方に腹が立った。けれどそれよりも、俺の目を見ずに捲し立てられたことがさみしく、そう思っている自分にも腹が立った。何故か一瞬見放されたような気分になってむしゃくしゃした。子どもじみているとは分かっていたけれど。
 拳を机に打ちつけて前のめりになる。何て言い返してやろう。そう思ったところで教室の扉が開き、俺の反論は叶わなくなる。
その後、担任と一緒に教室に入ってきた硝子も含め結局三人で平和に授業を受けた。だけど平和なのはこいつら二人だけ。俺の心の内側は、前を向く傑の涼しい横顔を見ては怒りがふつふつと湧いて出て、おさまることはなかった。
 だから仕返しとして今日見た光景を夜の右手のお供にしてやった。……違う、本当は。仕返しなんかじゃない。自分の根底にあったもの。それは昇華してしまいたいという想いだった。俺はあのうつくしく拙い影絵遊びを白く塗りつぶしてしまいたかった。だけどいつまで経っても澱みは清らかにならない。いくら吐き出したところで白は黒に勝らないのだと身を持って知ってしまったのだ。



 傑が去って初めての満月は、弾ける寸前の、熟したザクロみたいに真っ赤な色をしていた。
 夜にならないと現れない呪霊を祓ったために高専に戻ってきたのは午後十時を回っていた。真っ暗な廊下を一人ひたひたと歩いてゆく。真っ暗とは言っても人工的な光がないだけで、行く道は月の明かりでじゅうぶん照らされている。
 腹がへったな。夜になるとジャンクなものが食べたくてしょうがない。報告書を提出するのはカップ麺でも食って空腹を満たしてからでいいだろう。いいや、やっぱりそれも面倒だ。疲れて寝てしまったとかなんとか言って明日にしてしまおう。
 足元で何か黒いものが蠢いたのは、そうやって今日の夜食に思いを馳せていたところだった。
 ゆらゆらと所在なさげに揺れる影の元を辿れば休憩室の窓に行き着く。そこから大きな向日葵の花が夜風に吹かれているのが見えて、晩秋に差しかかっているというのに珍しいなと思う。それに元々こんなところに生えていただろうか。ここでの生活も三年目になるけれど気がついたのは今日が初めてだった。花なんて気にしたこともなかったから本当に気づいていなかっただけかもしれないが、その違和感が俺の制服の裾を引っ張って二の足を踏ませた。
 勘に従い、不気味に窓から顔を覗かせる向日葵の輪郭を目でなぞっているとその下方にうずくまる人の影がある。驚きはしたがもちろん恐怖は感じない。予想の範囲内だし、それがだとすぐに分かったからだ。
 月明かりの下、制服の長いスカートを捲り上げ、日焼け跡のない太ももを惜しげもなく晒している。赤い月だというのに何故か光は冷たく青みを帯びていて、それに照らされるの肌は血色がいいとはとても思えなかった。
 こんな時間に制服のまま一体何をしているというのだろう。揶揄うつもりは毛頭なく、ただただ純粋な興味だけで声帯を震わせた。

「電気もつけずこんな時間に何やってんだよ」
「え、あ、五条先輩」

 肩を震わせ顔を上げたは、一瞬だけ期待に満ち満ちた表情をしたが、声の正体が俺だと分かるとあからさまにがっかりしたように眉尻を下げた。誰を待っていたかなんて明白だった。

「何か用ですか」
「用ってここは休憩室だろ。休憩すんだよ」

 特にここで休憩の予定はなかったけれど、ポケットから小銭入れを取り出し自販機で飲み物を買う。脳が糖分を欲していたのでちょうどいい。傑や硝子には甘ったるく不評だったフルーツオレを二本、片手で掴んでの隣に腰かけた。

「やだ。近くに座らないでください」
「おまえほんっとに可愛くねえよな」
「先輩の前だけです」
「折角おごってやろうと思って買ったのに、そんな態度だとやんねえぞ」

 購入したフルーツオレを目の前でちらつかせると「わあ! ごめんなさい。ありがとうございます」と態度を一変させるのだから本当にゲンキンなやつ。
 はフルーツオレを一口飲むと、椅子の座面に踵を置いて自分の膝を覗き込んだ。スカートの裾が、柔らかそうな丸みに沿ってするすると滑り落ちる。膝を立て直す度に、その艶めかしい衣擦れの音が鼓膜を震わせるから、ついつい目で追ってしまう。
 スカートから伸びる白い足 。その表面にはっきりと刻まれた赤い傷跡。はコットンを消毒液でひたひたにして、時折顔をしかめながら傷口を拭っていた。

「怪我してんの?」
「見ないでください」
が見せてんだろ。不可抗力だっつーの」

 目の前でそんなことされて見るなという方に無理がある。大げさに仰け反ってから距離を取る真似をすれば「先輩ってほんっとに子どもですよね」と呆れたふうにため息をつかれて納得がいかない。傑にたしなめられている感覚によく似ている。こいつと傑には似ている部分も多く、だから自然と馬が合ったのだろう。
じゃあどうして傑はこいつを置いていった? 大事なんじゃなかったのか。あんなに独占欲を露わにしてまで俺を牽制したのに。よくない思考回路だと分かっているけれど、あれからぐるぐる考えてしまう。俺はあいつの何を見ていた? あいつは俺に何を見ていた? 心臓が黒い影に蝕まれてゆく心地がする。

「任務で怪我しちゃって……硝子先輩出張でいないから自分で手当てしてるんです」
「ふーん、別にそれくらい大したことねえじゃん」
「そう見えるかもしれませんけど跡を残したくないんです」
「見せる相手もいないのに?」

 はその言葉に俺を見上げ、たちまち泣きそうな顔をした。縋るものが何もなく、感情の逃げ道もない、迷子になった幼子みたいな顔だった。
 傑、知ってるか。こいつ本当に泣きそうなときはこんな顔するんだってよ。知らないだろな。おまえの前ではずっと笑っていたから。おまえはそれまでこいつを傷つけたことなんてたったの一度もなかったのだから。

「おまえこの期に及んで傑が戻ってくるとでも思ってる?」
「だって、分かんないじゃないですか……」
「分かるだろ。再会出来たとしても呪詛師として始末するだけだ」
「そ、んなの……」

 その後に続いた「本当は分かってる」という言葉が自信なさげに小さくなって消えてゆく。
 少しきつく言い過ぎたかもしれない。でもこいつを見ていると腹が立った。打ちのめしたくて仕方なかった。起こり得ないことを期待する姿はまるで傑だし、事実を受け入れることが出来ていない姿はまるで自分だったから。
 は力なく、のろのろと消毒を再開し始めた。よくよく見れば、膝から脛にかけてもすり傷だらけになっている。これを全部いちいち一人で消毒する気なのか。これくらい放っておいても治るだろ。
 泣かしてやろうと思った。でもこいつは泣かなかった。ふるふると震えながら精一杯強がって堪えてみせた。そんなのことがたまらなくいじらしいと思ったのもまた事実だった。

「手伝ってやろうか」
「結構です」

 一瞬垣間見えたの本音がみるみるうちに着飾られてゆく。面白くない。結局こいつの心を乱すのは傑なのだと。この場に居もしない、ましてや戻ることのない男にどうして勝てないのだろう。
 日の目を見ることがなかった想いが月の光をたよりに暴れ出し、胸の中に潜む化け物が目を覚ます。
 ああそうだ。この向日葵はあの日俺が投げ捨てた種が芽吹いたのだ。空き教室前の廊下から投げた種はちょうどここに着地する。俺の知らないところでずっとずっと成長し続けていたのだ。俺の中の化け物と同じように。
 それを自覚すると、なるべく優しくを心がけてに語りかけた。俺たちが一番信頼していた傑をお手本にして。目覚め一番腹をすかせた化け物に最高のごちそうを食べさせるために。

「跡が残るの嫌なんだろ。膝裏とか自分じゃやりにくいだろうし。俺の優しさだよ」
「五条先輩が優しいなんて気持ち悪いです」
「どの口が言うわけ。さっきも奢ってやったろ。とってもいい先輩だ、尊敬しろよ」

 先程の凍てつくような空気をぶった切って冗談めかして言ってやれば、ふふふとが顔を綻ばせた。チョロい。こんなにチョロくて大丈夫なのか不安になる。でもそこが傑も可愛くて放っておけなくて仕方なかったのだろう。分かりたくなくても分かってしまう。目の前でこんなふうに無防備な姿を晒されてしまうと、どんな手段を用いてでも手に入れたくなってしまう。

「こっち向いて足出して」

 自分でもぞわりとするくらい優しい声が出た。それにまんまと騙されたがこちらを向いて、そろりと白い足を差し出した。誘うように恥じらって両腕で太ももを抱え、スカートの奥に存在する秘密を隠してしまう。その仕草が暴きたいという衝動を呼び起こすことに微塵も気づいていないウブな姿。自らスカートをたくし上げていたあの日のとは真反対の行為だけれど、そういうところも正直いい。
 親指を脛に這わせながら、残り四本の指をふくらはぎの柔らかな肉に沈みこませる。適度な弾力をもって跳ね返してくるけれど、力を入れたとおりに形を変えるから気分がいい。もっと柔らかな部分に触れたい欲がむくむくと膨れ上がって性急に事に及びそうになる。
 その気持ちを抑え込んでゆっくりと手を上下させて傷を確かめる。赤く滲んでいるところに直接触れると沁みたのだろうか、のからだがぶるりと震えた。

「せんぱい、反転術式他人にも使えるようになったんですか?」
「なってねえよ」
「じゃあなんで、……んっ」

 唇を寄せて脛に息を吹きかけるとは噛みしめた唇から女の声を漏らした。
 耳元でパチンと弾ける音がした。ザクロみたいな月が弾けたのかと思って見上げたけれど、赤い月は俺たちの影を長く伸ばしている。一人一人別々の人間だというのに影はたった一つしか存在していない。
 もっと、だ。俺はあの真昼の行為のときみたいに秘めやかで艶めかしい影絵遊びがしたかった。パチンと弾けたのは月なんかじゃない、パンパンに膨れ上がった己の欲だ。

「や、やめ……」
「ほら言うじゃん。唾つけときゃ治るって」
「意味、わかんな、あっ……」

 膝裏の傷に舌を這わすとのからだが面白いくらいにびくびくと反応した。足から力が抜けて人形みたいにぶらぶら揺れて、思わずほくそ笑む。記憶の面影をなぞってみてもあいつになれるわけがないと分かっているはずなのに、血の気のなかった肌がほんのり桃色に染まってあたたかくなったことに気を良くしてしまった。

「ココ弱いんだって?」
「ちが、」
「違くないだろ」

 うるうると涙をためて俺を見つめるその姿は、誰から得た情報なのか戸惑っているふうに見えたけれど、再び舌で輪郭をなぞれば瞬く間に悩ましげな表情に変わってしまった。身をよじったせいでしわくちゃになったプリーツスカートの奥から女の匂いがする。それなのにずっとかぶりを振っている。さっきから浅く拙い呼吸を繰り返しているくせに。
 やだやだと言われては興ざめだ。俺はあの日の続きがしたかった。傑でさえ届かなかった、ふたりでしかたどり着けない高み。それが見たくてたまらなかった。
 柔らかな肉に埋めていた顔を上げれば、はやめてもらえるのかと安心したように眉尻を下げた。でも俺がそんな聞き分けのいい男なはずがない。
 そのままぐっと両足首を掴んで持ち上げる。反動では後ろに倒れ込んだ。後頭部を打つことは免れたものの背中は痛かったようで眉をひそめている。そこにすかさず覆いかぶさり手首を頭の上でひとまとめにする。だれか、と呼ぶ声を自分の唇で塞いで黙らせる。傑ならどうするか。そんなことを考えるのはやめた。自分勝手に口内を犯してやる。
 無理矢理割り入ったの口内を散々荒らし、逃げ惑う舌を捕らえては唇を離してわざと糸を引かせる。涙目で見上げるの唇の端がどちらのものか分からない唾液に濡れている。卑猥な光景が月の光に照らされている様が神々しくもエロかった。
 いいじゃん。あの日は昼。今は夜。お天道様のもとに出れる綺麗な関係じゃあないからちょうどいい。月の光だって影をつくる。太陽よりもずっと儚く、だからこそ美しい。俺の胸に落とされた墨汁で描かれた墨絵のような薄い影。傑と影絵遊びをしたんなら俺とは水墨画でも描いて遊ぼうか。傑と一緒の遊びなんてごめんだ。誰にも言えない不埒で耽美な二人だけの絵を描こう。

「呼んだって誰も助けは来ねえよ。にも俺にも」

 の瞳が揺れて目尻からひと粒の涙が零れ落ちた。抵抗していた手から力がふっと緩んだのをいいことに、ひとまとめにしていた腕を解放し濡れたまつ毛にそうっと触れる。なんの穢れも知らない透明な雫。これを口にすれば俺も清らかになれるのだろうか。
 迷い込んだ袋小路、出口を見つけるのは一人よりも二人の方がきっと容易いから。おまえもそう思うから俺の首に腕を絡めるんだろ。そうやって縋るように自ら腕を伸ばして。
 あの日、ばら撒いた向日葵の種が季節はずれの花を咲かせて窓の外で揺れている。空を見上げて偽物の光だと絶望しては、本物を探して彷徨って。まるで今宵、お互いの在り処を探しながらけもの道を歩いてゆくふたりのように。
 うっそうとした茂みを分け入って、たどり着いた先に光があればそれでいい。だから俺は腰を沈めて柔らかな肉をひらいてゆく。
 さあ、思う存分傷を舐め合おうか。それから傑でさえ見たことのないおまえの顔を心ゆくまで拝ませてくれよ。



20191224 企画サイト『ココよわ』様に提出しました