セーラー服を脱がさないで





※先生と生徒のお話です。
不道徳な描写を含みますので
自己責任でお読みください。







 小さい頃、童話で読んだみたいにわたしにも王子様が迎えにきてくれると思った。小学生になると、今度は少女漫画のような恋に憧れた。同級生なんてまだまだガキんちょ。中学生になれば先輩とドキドキするような恋をするんだと信じて疑わなかった。だけど、念願の中学生になってもわたしは素敵な先輩と出会うことはなかった。
 そして、わたしは高校生になった。本当の恋なんてまだ知らない。ホームルームの教室で、男女交際の噂が飛び交う中、わたしは溜息をついている。どうやったら好きな人ができるのか。どうやったら彼氏ができるのか。わたしもみんなと同じ高校生だというのに。
 クラス替えが行われた直後の教室で、このクラスの担任は誰なのかという議論がなされ始めた瞬間に、ガラガラと教室の扉が開かれた。そしてわたしは恋とは落ちるものだということを知ったのだ。


「ねえ、せんせい。ここが分からないの」

 放課後の化学準備室の中に作り上げた二人だけの空間は、全てにおいてわたしが主導権を握っている。
 だってセーラー服という戦闘服を纏った女子高生は最強でしょう?少しリボンをふくらませ、スカートは短くなんて絶対しない。
 だってわたしは知っている。おとなは隠されたものを見たがる生き物なんでしょう?

「どこ?」

 わたしの手元を覗き込む先生の眼鏡の奥をもっと見たいと思う。わたしの燃え上がるような恋心で、その涼しげな瞳を熱く焚きつけたいのだ。それが恋するオンナの性だということを、わたしはこの身をもって学んだのだ。
 綺麗に分けられた髪の毛から整髪料の香りがする。同級生のとはまた違う、オトコのひとの香り。

「隙ありっ!」

 先生を几帳面で真面目そうに見せるメタルフレームの眼鏡を奪い取れば、一瞬だけ吊り目がちな目をしぱしぱとさせた。取り返されないように胸元にぎゅっと引き寄せると、あまり視力が良くないからか目を細め眉根を寄せた先生がわたしに手を伸ばす。

、返しなさい」

 距離感が取れないようで、先生の指先がかさりとわたしのセーラー服の袖に触れた。ぴくりと一瞬戸惑うように動きが止まった先生の指にするするとわたしの右手を絡ませると、先生の動きは完全に止まった。少しカサついている骨ばった大きな手のひらが男のひとなんだなぁとわたしの胸をじんわりと熱くする。

「孝昭」

 大事に発音する。わたしの熱を込めてだいじにだいじに唇でその人の名前を形作る。名前を呼ばれた先生は眉間のシワを深くして、繋がれているけど力の入っていない手を思いっきり拡げてわたしの体温を拒否した。

「こらこら、”先生”をつけなさい」
「つけたら名前で呼んでもいいんですか?」
「好きにしろ」
「じゃあ孝昭先生?わたしのこと、下の名前で呼んで。そしたら眼鏡、返してあげる」

 、だなんて、そんな味気ない名前で呼ばないで。他の子たちとは違うって思わせて。わたし以外と二人っきりにならないで。わたしを先生の特別なオンナにして。
 そんな馬鹿みたいなことを願いながらぎゅっと眼鏡を引き寄せたのに、先生は難なくわたしの手首を掴んで小さな子どもみたいな手のひらからそれを奪い返した。
 掴まれた手首がきりきりとする。分かっていた。わたしがすることなんて何の意味もないことを。先生の中ではわたしは何人もの生徒のうちの一人だった。
 わたしから無事に眼鏡を取り返した先生はスラックスからおもむろに眼鏡ふきを取り出して綺麗にふき取り始めた。まるでわたしの痕跡まで消してしまうかのように。そしてそのクロスは先生が自分で買ったとは思えないストライプ柄の洒落たもので、わたしの心臓はぎゅっと掻きむしられた。

はどうして毎日ここにくるんだ?」

 はぁ、と眼鏡のレンズを曇らせて、またふく。わたしを戒めるような強く鋭い視線は子どもを叱るような目で、ああ、この人にはきっと全部バレてしまってるんだろうなぁと思わせるものだった。

「そんなの、分からないことがあるに決まって……」
「お前が化学得意なことくらい知ってるぞ」

「担任なんだからな」とカチャリと眼鏡を元の位置に戻し、くいと眼鏡のブリッジの部分を押し上げる。その仕草だってわたしを捕らえてしまうというのに、”知ってる”という言葉は残酷だ。それが、わたしのことだから知ってるという意味ならどんなに嬉しいものなのか、この人は分かってない。みんなのことを平等に”知ってる”この人には。

「わたし、穴原先生のことが好きなんです」

 もう何度目になるのか分からないわたしの愛の告白に先生は深い息を吐き出して、自身の前髪を撫でつけた。

はまだ子どもだから」

 ポンとわたしの頭上にあたたかい手が下りてくる。
 おとなはみんなそうやっていう。
 子どもだから、子どもだから。じゃあ大人になったらわたしの恋人になってくれるの?大人になっても「には他にいい人がいるから」って言うに決まってる。馬鹿にしないで。
 頭の上の大きな手のひらを掴んでわたしの胸に押し当てると、先生は口を中途半端に開けて呆気にとられた顔をした。

「わたし、いつまでも子どもじゃありません」

 ふっくらと膨らんだ胸がその証拠だと思うから。だから、そうやって耳まで赤くなるんでしょう?
 本気なのに、分かってくれないんだったらわたしのはじめてを何だってくれてやる。

「いい加減にしろ」

 腕を振り切って静かな低い声が響く。先生が本当に怒っているときの声だった。でもわたしだって譲れない。持てるだけの力で睨みあげると、先生は長い指先を自身の額に添え、目を伏せた。少しだけ汗が滲んでいるようにも見える。そうやってわたしのことを意識してくれればいい。

「もっと自分を大事にしろ。女の子なんだから」

 先生、わたし、女の子扱いしてほしいんじゃない。オンナとして見てほしいの。だけど、どうやったら先生の気をひくことができるのか分からない。そういうところが子どもだって言うならば、とことん子どもであれば先生はわたしのことを好きになってくれるのだろうか。
 膝の上でぎゅっと拳を握り、それが微かに震えていることに自嘲する。わたし多分泣きそうだ。瞳の表面に水の膜が厚さを増して溢れそうになるのを、少し俯いて誤魔化す。
 先生がわたしから遠ざかろうとしているのが、爪先の向きで分かる。頭上では重苦しい溜息が吐かれた。

「……痛い……」

 お腹を抱えて呻くように声を絞り出せば、反対を向いていた爪先が再びわたしの方を向いた。「どうした?」と肩から先生の手の温もりを感じると、口角が自然と上がっていく。わたしの様子を窺い、覗き込もうと段々先生の腰が折れ曲がってくる。
 見た目は厳格そうなのに、どうしてこんなに優しくて騙されやすいのか。
 わたしの肩に置かれた先生の手の中から人差し指を捕まえてぎゅっと握る。

「嘘だよ!」

 バッと音がするくらい勢いよく顔を上げると、鼻先が触れ合うほどの至近距離に先生の顔があって、急なことで焦点が合わない。二人の間にすりガラスが一枚差し込まれているかのような不鮮明な輪郭なのに息づかいを感じてしまい、わたしたちの間には何にもないことを思い知らされる。そして後ろ髪を分け入って先生の手がわたしの後頭部に触れたかと思うと、先生の眼鏡の奥の密やかな熱が露わになった。

「知ってる」
「え?……んぅ…」

 苦しい、と思った。だってわたしの息をするための器官がひとつ塞がれている。先生の薄い唇が、わたしのを食むように何度も角度を変えて侵食していく。わたしの子どもっぽい嘘を飲み込んでいる。
 新鮮な酸素を取り込みたいがために顔を離そうとすれば、わたしの頭に回っている先生の手にぐっと力が込められる。胸元を押し返そうと先生の人差し指を握っていた手を離せば、逆に絡めとられ鎖のように繋がれる。
 誰に教わったわけでもないのに自然と閉じてしまった目には、さっきまで我慢できていたはずの涙が滲んで睫毛がしっとりと濡れていた。
 酸素は足りないのに、感覚だけが研ぎ澄まされていく。触れ合っている場所という場所からお互いの体温が溶け出して混じり合っていく感覚。
 下唇を吸いながら名残惜しげにちょっぴり顔を離した先生は、鼻先をぶつけながら「舌出して」と艶やかな声を響かせた。なんにも考えられないわたしが言われるがまま何の疑いもなく舌を覗かせば、先生のそれがぬるりと這って再び口が塞がれた。先ほどのとは違う口内を荒らすような深く湿り気を帯びた口づけ。逃げ惑うわたしの舌は先生のものに翻弄されて、脳味噌がとろとろと溶け出すような心地がした。
 くらくらする意識を手放さないように先生のシャツをぐしゃりと握るとそれを合図にしたかのように、セーラー服の裾から先生の手が差し込まれる。
 慣れたような手つきでキャミソールごとたくし上げたかと思うと、背骨をなぞるように腰を撫でられ、全身がぞくりと粟立った。
 何をされるかなんて本能が知っていた。だけど、なにもかもはじめてだった。ずっと望んでいたことなのに、先生の手がやわやわとわたしのふくらみに触れたかと思うと、わたしは反射的に先生の適度に鍛えられた胸板を精いっぱいの力で押し返していた。

「……や、やだっ」

 わたしの抵抗を分かっていたかのようにすんなりと体を離した先生が、わたしの頬に滑らかに指を這わせたことで、涙がそこをつたっていたのだということを理解した。

「これが大人だ、

 わたしを覗き込む先生の顔は言葉で言い表せない複雑な顔をしていた。優しく微笑んでいるのに、そこには悲しみが滲んでいる。命が縮んでしまいそうなくらい心臓がぐっと締め上げられ、こんな感情もはじめてのことだった。

「おまえ、もう用がないならここへ来るな」
「……っいや!」

 わたしが先生を拒否したくせに、都合よくそんな言葉を口走るわたしは先生の言うとおりまだまだ子どもだった。
 ゆっくりわたしに背を向けた先生が段々遠ざかっていくのが、涙でぼやける視界の中に浮かび上がる。

「次来たら多分とめられないから」

 振り返らずに言った先生にわたしはなにも言えなかった。
 違うの、先生。わたし、本当に嫌だったわけじゃない。ただ、はじめてでどうしたらいいか分からなかっただけ。だから、ねえ、そんな顔しないで、いつもみたいに優しく笑って。
 喉の奥に張り付いているそんな自分勝手な言葉たちを、この二人の世界を壊してしまったわたしが言えるわけがなかった。
 卒業まであと数ヶ月しかない。わたしはこの小さな箱庭から早く出ていきたいけれど、手放したくはない。わたしは自分で思っているほど全然おとなになんてなれていなかったのだ。