乙女の夢の麗しきことよ

「先輩、どうやったら俺のこと男として意識してくれますか?」

 はて、一体どうしてこうなってしまったのだろう。わたしは社会科準備室の床の上で五色くんの足の間に挟み込まれるようにへたりこんでいる。腰には筋肉質な、でもまだ発展途上のような男子高校生らしい腕が回り込んでいて、目の前の彼は少し頬を染め目は合わせてくれない。力強く抱いているくせにその顔は何?こっちが照れる。そうだな……意識……意識ねぇ……


 五色くんと初めて出会ったのは食堂だった。幼馴染の若利は何故か毎日毎日わたしを連れて食堂にお昼を食べに行く。「栄養バランスが良くなるように考えてくれ」と言われて、でも結局大半はハヤシライスだし基本言うことは聞かないので「味噌汁つけたら」とか「サラダつけたら」とか何のアドバイスにもなっていないことを毎度毎度言っているだけなのだ。それなのに、わたしがお弁当を持参していても食堂に引っ張っていくのでわたしもわたしの友人ももうお手上げ状態だった。
 大体若利とお昼を食べていると集まる面子はバレー部だった。その中に五色くんもいて、初めて会ったとき彼は若利を見つけると「牛島さん!」と言いながら、料理が乗ったトレーを持っているのにも関わらず猛スピードでわたしたちがいるテーブルに向かって突進してきた。わたしは、もう料理がひっくり返らないか心配で心配でたまらなかった。無事にこちらのテーブルに到着した彼はわたしと若利を交互に見てさっきの勢いはどこへやら「えーっと……」としどろもどろに呟き一向に座る様子がなかったのでわたしが「こっちに座る?」と声をかけるとパァっと嬉しそうに笑って隣に腰かけた。そして「負けません」と言いながら若利と同じハヤシライスをガッついたけれど、勢いあまり過ぎて喉につっかえてしまったようなので慌ててお水を差し出した。

「ありがとうございます。」
「よく噛んで食べないと。」
「でも俺は時期エースですから!」

 それとこれとは関係ないんじゃないかなと思いながら一生懸命若利に張り合っている姿は何だか子どもみたいでかわいかった。そして食べ終わった五色くんはわたしの顔をじっと見て「ついていますよ」と言いながらわたしの口もとを拭ったので、わたしはビックリして後ずさってしまった。

「どうしたんですか?」
「いや……ビックリしただけで。」

 クリクリの黒くてまっすぐな瞳がキョトンとわたしを見つめる。誰だって初対面で名前も知らない人にこんなことされるとビックリすると思うんだけど彼はそんなこと微塵も思っていないらしい。そういや若利にも同じようなことされたことあるなぁと思い返しながらバレー部は大胆なのか天然なのか分からない奴が多いという印象だった。

「お二人はつき合っているんですか?」

 五色くんの質問にわたしと若利はぱちくりと目を合わせた。はたから見ればそう見えるのか。それは甚だ厄介だ。この男がいるからわたしには彼氏ができないのかもしれない。

「違うよ。幼馴染だよ。」
「そうですか!よかったです。」

 そう言ってまたパァっと笑う。よかったってどういう意味なのか。若利と張り合ってる彼のことだ、自分にも彼女がいないから若利にも彼女がいなくてよかった、とか?わたしが若利の彼女じゃなくてよかった、とか?いやまさか、それはないない!そんなことを考えながらまだ自己紹介していないことに気づき、慌てて名前を名乗った。

です。」
「あっ俺、五色工です。」

 それが初めての出会いだった。

 そして毎日食堂で顔を合わせているうちに最初は「牛島さん!」と寄ってきていたのが「先輩!」に変わってきた。名前で呼ばれるのは若利がわたしを「」と呼ぶからだろうか。でも全然嫌ではなく親しまれているようでむしろ嬉しかった。そして若利の目の前がわたしの定位置なら、わたしの隣が五色くんの定位置だった。ある日、お弁当を食べていたらひょっこり横から覗き込まれ「先輩が作ったんですか?」と目を輝かせながら言うので「これとこれはわたしが作ったよ。少し食べてみる?」と聞くと笑顔を満開にして頷いた。卵焼きは大体わたしが作っているのでそれを一つ差し出すと彼は口を大きく開けた。食べさせてってこと?全然そんなつもりはなかったのにこれって世に言うあーんってやつじゃ……とこっちが恥ずかしくなってしまい、多分わたしの顔は赤かったのだろう。早く早くと急かす五色くんのかわいさに負けてつい食べさせてあげるとなんと「照れてる先輩かわいいです」と言ったではないか。天然かと思いきや確信犯なのかと驚愕した出来事だ。けれど「おいしいです」と言われればやっぱり嬉しいもので、お弁当を持って行ったときは少しおかずを分けてあげていた。前に天童に「ちゃん、つとむに餌付けしてんの?よく懐いてるね。」と言われたことがあった。そのときは、そうか、だから犬に懐かれているような感覚でかわいいのかと一人納得して「五色くんはかわいいね」としょっちゅう本人に言っていた。彼が不満そうな顔をしていると気づかずに。
 でもかわいいかわいいと思っていた後輩がやっぱり男の子なんだと実感するきっかけになったことがあった。いつもどおりお昼を食べ終え、皆と一緒に返却口へトレーを返そうと向かっている途中、床が濡れていたのだろうか。わたしは滑ってしまい、バランスを崩した。こけると思って来るであろう衝撃に備えようと目をつぶっていたのだけれどそれは一向にやって来ず、不思議に思って目を開けると五色くんがわたしの体を支えていた。食べ終えたあとの食器やそれらを乗せていたトレーは無残にも床に転がってしまっていたが、わたし一人を軽々とびくともせずに支える五色くんのことを、いくらかわいい後輩と言えども男の子なんだと認識せずにはいられなかった。



 今だってそう。似たような状況だった。
 社会科教師に資料を取りに来るように指示され、やってきた社会科準備室で棚の上の方にある資料を取ろうと背伸びしていたところに、同じく資料を取りに来た彼に遭遇した。

「あれ、先輩。どうしたんですか?」
「あの棚の上の方にある資料を取りたくって。」
「えっ!?じゃあ俺取りますよ!」
「大丈夫大丈夫!」

 そう言いながらわたしはその辺に置かれていた椅子を引っ張ってきてその上に乗ろうとした。その椅子がちょっとグラついてるなという認識はあったものの多少なら大丈夫だろうと安易に考え、棚の上の資料を取ると思ったよりも重たくてフラフラしてしまった。バランスを崩して倒れそうなわたしを五色くんが心配そうな顔で見ているのが資料の隙間から見えたけれど、とりあえず重心を低くすれば安定するかもと腰を屈めた。でもそれが間違いだったようで、雪崩のように腕から崩れ落ちる資料と一緒にわたしも椅子の上から落ちたようだった。けれど、そこまで衝撃がなく、気がつけば五色くんの上に跨っていたのだった。

「ごめん。」

 すぐに彼の上からは退いたものの立ち上がることができなかったのは、彼の腕がわたしを捕まえて離さなかったからだ。それが冒頭のようになってしまった原因だ。またもや助けられてしまったうえに、またもや男の子だと意識してしまった。つまり、彼の「どうやったら男として意識してくれますか?」という質問に対して答えるとするならば、もうとっくの昔から男として見ているのだ。それにこうやってくっついていると自分の心臓が自分のものじゃないみたいに脈打ってるのがわかる。触れられて嬉しい、会えて嬉しい、話ができて嬉しい。ずっと思っていた。そう、きっとこれは恋なのだ。

「五色くん、わたし、五色くんのことちゃんと男の子だと思ってるよ。」

 そう答えれば、彼はやっと目を合わせてくれわたしの顔を覗き込んだ。

「でも、俺のことかわいいかわいいっていつも言うじゃないですか。」

 気にしていたのか。でも、かわいいのは本当だ。それは誤魔化さずに彼に伝えたい。いつもまっすぐにわたしを見てくれる彼だから。

「かわいいのは本当だよ。でもこうやって助けてもらったりするとやっぱり意識しちゃうよ。」
「じゃあ、もっと男らしいところ見せるので練習見にきてもらえますか?」

 照れながら笑う五色くんに「もちろん」と伝えるとパァっと笑顔が花咲いた。この笑顔が大好きだ。いつもわたしを元気にしてくれる。好きと伝えたい。伝えたときの顔を見てみたい。でもまだ伝えない。だってもう少し、この甘やかでもどかしい2人だけの時間を共有したいのだから。