「これを1本。」

そう言われて振り向いたが、黒い壁しか見えない。威圧感を感じる。 返事をしないに聞こえなかったのだろうと思ったその人物はもう1度念を押すように指差しながら 「これ。」と言った。どういうことだ、顔が見えないと思い上を見上げるとそこには眼光鋭い大男が 立っていた。は思わず身震いする。なんでこんな花とは無縁そうな人がここにいるんだと思いながら 恐る恐る指差すものに目を向けるとそれはカーネーションであった。 ああ、そうか母の日だもんなと納得し、こんな怖そうな人でもそういうことを大事にするのかと 母親に花を渡している姿を想像して口元が緩む。少しくらいならいいだろうと、 かすみ草を何本か付け足し丁寧にラッピングしていく。

「これは頼んでいない。」
「いいんです。サービスです。」
「…ありがとうございます。」

律儀にかすみ草の分のお金も払おうとする彼を店の外に無理やり押し出すと、 丁寧にお辞儀をして颯爽と走っていった。凛とした背中がとても綺麗だった。 それが高1の初夏。そのときの大男があの牛島若利だと知ったのはそれよりもう少し後、 バレー部がインターハイ出場を決めた試合を見に行ってからだった。


は高校に入学してすぐ実家の花屋の手伝いをしていた。 どうせ帰宅部で放課後も時間を持て余すだけなのだ。バイトしようかと考えるも出不精な自分には 実家の手伝いが合っていると思い、両親と相談してお小遣いに上乗せしてもらえるように頼んだ。 それからもう2年が経つ。高校3年生にあがり貼り出されたクラス替えの紙を見て、 同じクラスに”牛島若利”という名前を見つけたとき、あの凛とした背中を思い出し少し胸が弾んだ。
同じクラスになってやっと気づいたのだが、土日に働いていると夕方に牛島の姿を店の前で見かける。 ロードワーク中なのだろう。綺麗な姿勢で走るその姿は夕陽に映えて美しいと思ってしまう。 それを中断させてしまうのは勿体無いなあと思いながらも走ってきた牛島に声をかけた。

「牛島くん!」
か。」

足を止めても綺麗な姿勢は崩さない。

「これ、置いてても捨てちゃうだけだからもらってくれないかな? 走るのに邪魔だったらいいんだけど。」

そう言って、売れ残って俯いてしまった花たちを牛島に差し出すと、 彼は花びらを落とさないようにそっと受け取ってくれる。

「ああ、ありがとう。」

牛島がそれらを大事そうに抱えると花たちも元気を取り戻したように前を見ているような気がした。 不思議だと思う。最初こそなんて花の似合わない男だと思ったが、 今ではこんなに花の似合う男はいないと思う。優しいひとなのだ。






「ねえ、ってキミ?」

昼休みに教室でお弁当を食べていると、ヒョロ長い男に声をかけられた。 あ、この人、バレー部のぴょんぴょん跳んでる人だという認識はあったものの名前は知らない。 そうだと言えば、「へえ〜」と言いながら人を舐め回すように観察してくるので あまりいい気はしなかった。

「何ですか?」
「いや、若利くん、休みの日に走りに行っては花抱えて帰ってくるし、 毎日花瓶の水替えながら感慨深げに見つめてるから、どうしたのって聞けばキミからもらったって 言うからさ。どんな子か気になっただけ〜。」

ふと牛島の方を見れば、焼きそばパンをもしゃもしゃと咀嚼している。 今日は食堂でハヤシライスじゃないのかと思いながら、花を見つめる牛島を想像して笑みが零れた。 その仏頂面で花たち見てるの?花たちも困っちゃうよ。 でもきっとそれを包み込む大きな手は温かくて優しいに違いない。

「あんな怖い顔でスパイク打ちまくってるくせに、 花を扱うときはすごく繊細で丁寧な手つきしてるとか笑っちゃうよね。」

そのときの自分はとても穏やかな表情で笑っていたようだった。 声をかけてきた人が大きい目をさらに見開いてこちらを見る。

「若利くんも満更じゃなさそうだったよ〜。」
「え?」
「若利くんをよろしくね〜。」

よろしくって何だろう。同じクラスだから面倒みろってことだろうか。 疑問に思いながら鼻歌を歌いながら去っていくその人の後ろ姿を見つめた。







新緑の季節を迎えて新しい花たちが店に並び出す。店から見える野山を見ると淡い緑色をしており、 それぞれ芽吹き始めた木々たちのコントラストがとても綺麗だった。 しばらくぼーっと外を見ていると、入り口に大きな影がかかる。逆光で顔はよく見えなかったが、 多分牛島だろう。今日はずいぶん早い時間にここを通るなと思いながら、 は入り口に 近寄る。しかし違うのはそれだけでなく、身に纏っていたのは普段来ているジャージではなく私服で、 両手には大事そうに花束を抱えていた。花屋に花束持ってくるとかケンカ売ってるのかと思ったが、 牛島がその花束をこちらに差し出すので仕方なく受け取る。

「これ、どうしたの?」
「駅前でに似た花を見つけたから花束にしてもらった。」
「わたしに似てるって…どういうところが?」

牛島は大きな手を口元に持っていき、少し考えたようだった。

「儚いところか。」
「儚いってわたしが!?」

幸が薄いの間違いじゃないだろうか。いつも鏡の前で見る自分の顔を思い出しても 儚いイメージとは結びつかない。

「学校で見るは、放っておくとどこか飛んでいきそうだ。」

ああ、それただぼーっとしてるだけなんじゃないかなと思いつつも 牛島の口が次の言葉を発するのを待つ。

「でも花と向き合っている姿は、その花のようにまっすぐ立っている。」

はそんな姿いつ見てたんだと思い恥ずかしくなった。目を伏せると、 その赤いアネモネの花束が自然に目に入る。

「買うとき、彼女さんにですかと聞かれた。」
「か、かのじょ!?」
「彼女にしたい人にと答えた。」
「え!?」
「花言葉は”君を愛す”というらしい。」

牛島をみると射抜くような目でこちらを見ていた。まっすぐなのはわたしじゃない、君だよ。 そんなにまっすぐな想いをぶつけられて嬉しくないはずがない。 だってわたしもその力強い眼差しが好きだった。彼の唇が紡ぐ次の言葉がわたしには分かる。 ああ、どうやらわたしは今日から彼の彼女になるようです。





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