学園祭まであと6日

 今朝は少しだけゆっくりと起き、トーストされたパンとスープを飲み込むと、スクールバッグを肩に提げて家を出た。教科書なんて入っておらず、羽根のように軽い。いつもの朝であれば少し肌寒いが、太陽が昇っている日中はまだ暖かい。すれ違う男女は少しオシャレしていて女の子のスカートが風ではためく。今からデートでも行くのだろうか、うらやましい。いつもはスーツを着ているだろう中年の男性も今日はニットとジーンズというカジュアルな格好で庭先でホースから水を飛ばしている。そんな日曜日のブランチの時間に帰宅部のわたしが制服を纏って学校に向かっているのは訳がある。
 運動部の掛け声を聞きながら校舎内に入ると同じように学校に来ている生徒がちらほらいた。体操服姿でペンキを塗っていたり、ダンボールを運んでいたり、ドレスのようなものを片手に裁縫箱を覗いていたり、そんな彼らの姿を見てわたしも体操服を持ってくればよかったなあと少し後悔した。この学校の制服はこういった作業をするには不向きだった。
 自分の教室に近づくと開け放たれた扉から蛍光灯の光が漏れ出している。クラスメートの楽しそうな声が聞こえてきたので、来ているのは自分だけじゃないんだと、ほっと胸を撫で下ろした。

「おはよ!」
「あ、!おはよー!」

 おはようと声をかけるには少し遅い時間だったかもしれない。だけど目の前の彼女たちはそれについて何も気にせず、作業を続けながら返事をしてくれたので特に変ではなかったんだろうと思う。
 教室の真ん中を大きく陣取っているのは今年の学園祭でこのクラスで作ることになったハリボテだ。赤とシルバーが特徴的なM78星雲光からやってきた3分間しか闘えないヒーロー。授業中は教室の隅に追いやられているけれど、それでも部屋の4分の1程を占拠しているので机を並べるとかなり狭く感じる。
 本来ならばハリボテは中庭で展示されるはずなのだけど、わたしのクラスは場所取り合戦で負けてしまい教室内で何か催し物をすることになってしまった。となれば、喫茶店やお化け屋敷といった学園祭ならではの催し物をするのが一般的なのに、担任がどうしてもハリボテをやりたいと我儘を言ったのだ。どうやら大きなものを作ってみたいらしい。先生が我儘言っちゃうのかとクラスメイトたちも苦笑しつつ、授業も分かりやすい、生徒の話も平等に聞いてくれるといったとてもいい先生なので、先生がそこまで言うなら……ということで教室内でハリボテの展示を行うことになった。
 そこで選出されることになったのが、ハリボテを作る中心となる係だ。男女1人ずつ出そうということで、女子からは何故かわたしが選ばれたのだ。どうも美術で描いた絵が上手かったからこういう制作も得意だろうという考えだったようだ。まあ、嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、クラスをまとめながら作るのは自信がなかった。だから、今日みたいに部活がない子たちや帰宅部の子たち、有志が集まってあと1週間で迎える学園祭のためにラストスパートをかけていくというとき、本当に自分以外の有志が集まってくれるのかという不安があった。けれど、こうやって自分が来ていなくても作業を進めてくれているとやっぱり嬉しいもので、みんなと作り上げてるんだなあと自然と顔が綻んでしまう。
 もう骨組みは出来上がっているのであとは新聞紙をそれに貼り付けて色をつけていくだけだ。何とか今日中に半分は新聞紙を貼ってしまいたい。高いところは脚立に登って貼らなくてはいけないので、ふと思い出すのは一緒に係をすることになった背の高い川西くんのことだった。
 いつもぼーっとしているイメージだった彼が何故選出されたかはわからない。ただ男子からの人気は絶大で、陰のムードメーカー的存在なのだと何となく感じていた。一緒に準備をしているうちにやっと川西太一という人物像を掴めるようになって、飄々とした顔で冗談をいうところや、ぼーっとしてると思いきや案外責任感の強いところがきっと男子からの信頼を獲得している大きな要因なんだと思う。
 彼はバレー強豪校である白鳥沢学園のレギュラーだ。そのため、帰宅部のわたしのように毎日残って準備するということはあまりない。今日もきっと体育館で汗を流しながら練習しているのに違いない。だから、彼の分までわたしが頑張らなくちゃという気負いも少しだけ感じていた。
 作業に没頭していると時間が経つのは早いもので、いつの間にか夕日が教室内を赤く染め上げていた。一緒に作業していたクラスメイトたちは「そろそろ帰るね」と切り上げて帰ってしまったけれど、わたしはもう少しキリのいいところまで仕上げておきたかった。それに、教室内から眺める夕日をもう少し堪能したかった。「秋は夕暮れ」と、かの清少納言が言ったように山の端がわずかな間に赤く黒く変わっていく様がとても綺麗だった。もう少しすれば紫陽花色の夕空がこの街を覆うのだろう。そんなことを考えていたためか近くに人の気配を感じることが全く出来ずにいた。

「わっ!」
「きゃっ!」

 急に背中に手のひらの感触が伝わり、驚いて飛び跳ねると「ぷくく……」と含み笑いが聞こえ、振り向けばジャージ姿の川西くんがわたしを見下ろしていた。彼はほんのり汗をかいていて首にかけていたタオルでこめかみを拭った。

「一人?」
「うん、みんな帰ったよ」
「そっか、いつもごめんな」

 そう言いながら彼はわたしの隣に腰を下ろし、広げていた新聞紙をがさがさかき集めていた。こんなに近くで彼を見たのは初めてで、袖をまくったわたしの腕に彼のジャージが触れると何とも思っていなくても少し心拍が乱れてしまう。

「部活はもう終わったの?」
「おー。だから一応覗いてみようと思って」

 いつも見上げる彼の顔が今、自分の目線と同じところにあるのが不思議なかんじがする。にこりというよりもにやりと笑うその顔はいたずらっ子の少年のような顔だった。

、そんなに見つめられると俺減っちゃう」
「へっ!?あ、ごめん!」

 そんなにまじまじと見ていたのだろうか。無意識すぎて恥ずかしい。それもこれも残照に染まった彼の顔を間近で見ることが初めてだったからに違いない。

「今日はどこまでするの?」
「あ、新聞紙をこの辺まで貼ってしまいたくて」

 立ち上がってハリボテの上の方を指差すと「じゃあ俺が来たのちょうどよかったな」と言いながら、川西くんも立ち上がって脚立を寄せた。正直、一人で脚立を使うのは怖くて誰かに押さえてもらいたかったので助かった。背が高い川西くんが脚立に登ってしまうとさらに高くなって見上げる首が痛い。長い腕が新聞紙を取れと合図するので、それを手渡しながら自分も下の方を貼っていく。川西くんは歌を口ずさみながら上機嫌だ。

「あんまりそわそわしないで~♪」

 川西くんにまったく似合わないかわいい歌を口ずさんでいるので思わず笑ってしまうのは仕方のないことだと思う。
 白鳥沢学園では後夜祭でキャンプファイヤーを囲みながらフォークダンスを踊るのが名物になっている。今どきフォークダンスなんて、という意見もあるが理事長が学生時代にこういった男女のコミュニケーションも必要だという考えなので無くなる事はなさそうだ。それに結構自由なもので、後夜祭自体自由参加だし、フォークダンスも男子どうし女子どうしで踊ってもいいことになっている。だから昨年はわたしも友人と踊ったし、男女のペアで踊るのは付き合ってるふたり、もしくは性別の垣根を越えた友情が芽生えているふたりくらいだ。
 昨年と違うのは、今年はそれに加えて創作ダンスをやろうという企画が生徒会で持ち上がったらしく、川西くんが歌っている曲に合わせて恋人風ダンスをやることになった。体育の授業で振り付けがされ、抱き合う振りをしたりキスする振りをしたり、なかなかかわいいダンスだと思うけど、やっぱり男女のペアで踊るのは気恥ずかしい。周りはこれを期に告白しようと盛り上がっているけど、残念ながら相手のいないわたしはまた友人と踊ることになりそうだ。

「いちばんすきよ~♪」

 歌いきった川西くんがわたしに手を伸ばしている。なので、床に広がっている新聞紙を一枚手渡そうとすると「違う、手」と言われたので何も考えず、その大きな骨張った手に自分の手を重ねる。すると、ぐっと握られ、はっとして川西くんを見上げると彼はまた意地悪そうににやりと笑った。

「今の歌、のこと思いながら歌ったんだけど」
「えっ?どういうこと?」
「川西太一はのことが好きだってこと」

 慌てて手を離そうとしたけれど、しっかり握られてしまっているので解けない。先程ジャージ越しに伝わった熱よりも直に伝わるそれは、わたしの顔まで伝わってしまったようで顔が熱い。
 ゆっくり脚立から降りてきた川西くんは わたしと向き合うように立ち、目のやり場に困って俯きかげんになったわたしを覗き込むように目を合わせた。

「だから、ちょっとゲームでもしませんか?」
「ゲーム?」

 訳が分からず顔を上げた間抜け面なわたしを見た川西くんは、ぷっと吹き出した。

「学園祭までにが俺のことを好きになれば後夜祭で一緒に踊ってよ。無理だったら何でも言うこと聞くから」
「え?」

 それってわたしに何かメリットがあるのだろうか。何でも、と言われても全く思い浮かばない。けれど、川西くんは有無を言わさない目をしていて、わたしは目も逸らせないし一歩も動けなかった。

「一週間で俺のことを好きにさせるゲーム開始!」

 返事もしていないのにゴングが鳴らされてしまった。ぽかんとしているわたしを尻目に彼は表情を崩さず「絶対俺のこと好きになるよ」と言いながらまた脚立に登っていく。一体どこからその自信は来るのだろう。今日ちょっぴり意識してしまったことがバレているのだろうか。そもそも本気なの?相変わらず飄々としている彼の心の内が読めぬまま今日の作業は終わってしまった。

「じゃあまた明日」
「う、うん」

 川西くんは挙動不振になってしまったわたしを校門まで見送って寮の方へ軽やかに走っていった。去り際に囁かれた「覚悟しといて」という言葉が耳から離れなくて、片手で耳を押さえる。心臓の音が伝わってないか心配だ。明日からわたし、どうなっちゃうんだろう。