6. 「夢みたいやわ」

 宮くんの想いに応えようと決心してからバレンタインまで時間があったので、中学のときよりも少し手の込んだガトーショコラを作って渡そうと何回か練習した。バイト先でコツを聞き、宮くんを想いながら作る。その時間は、宮くんのことだけを考えられる、純度の高い、とびきりの時間だった。それから迎えた今日。学校には甘いお菓子の匂いが漂っていて、女の子しかいないので殺伐とした雰囲気もなく、昼食後に用意したお菓子を机いっぱいに広げてみんなで食べた。放課後になると、他校の彼氏や好きな人に会うために、みんなが黙々と身だしなみを整え始めたのが少しおかしくて、可愛かった。ホームルーム後の教室にはいつもお喋りの花が咲いているのに今日は違う。みんな真剣だ。わたしも例に漏れず、鏡と向き合って、宮くんにもらったクリスマスコフレのアイパレットからひとすくい、まぶたにのせて宮くんを想った。
 みんなのメイクが仕上がって、学校にふたたび賑やかさが戻ってくると、廊下から気になる噂話が聞こえてくる。

「校門の前で稲高の男子がチョコ待ちしてるらしいで」
「しかもそこそこかっこいい」
「じゃあ余ったお菓子でもあげよかな」

  学校名を聞いて、まさかと思う。でも、チョコ待ちしてるなんて、チョコに困らない宮くんがそんなことする筈もないし、人違いに決まってると言い聞かせていると、今度は「どこがチョコ待ちやねん。でっかい花束抱えて、相手おるんバレバレやん」と聞こえ、いよいよ心臓が暴れ出す。
 まさか、まさか、まさか!
 わたしは自分の言った一言を忘れたわけではない。宮くんの想いを信じるために出した条件。それを思い出して、変な緊張感が背骨を駆けてゆく。
  そこへ学校中に大きな声が響き渡った。

「二年三組さん!」

 自分の名前が呼ばれ、びくりと体が大きく震える。息が止まる。身動きが取れない。教室中の視線がわたしに向いて、何人かがベランダの外を覗き込んだ。

「稲高の男子や!」
「あれ、宮兄弟の片割れちゃうん?」

 ついに男の子の名前が口にされ、わたしはいよいよ自分の言葉に責任を持たなくてはいけなくなった。けれど、自分で言ったものの相当恥ずかしい。心の準備をしながら、宮くんの様子を窺おうとそろそろとベランダの方へ近づいていると「まだ帰ってないん分かってんで」と早く姿を見せろと催促される。
 何年か前の不良みたい、と場違いなことを思う。他校に殴り込みにきた悪い格好の宮くんを想像してほんのちょっぴり頬の筋肉が緩んだ。

「はいはいはーい、はここですよ」
「え、ちょっと」

 なかなか顔を出さないわたしを見兼ねた友人が、ニヤニヤしながらわたしの背中を押し、ベランダへ追いやられる。心の準備がまだ出来ていなくて恐る恐る外を覗き込むと、下校途中の生徒の中に目立つ金色の髪をした男の子が見えて、わたしはごくりと唾を飲んだ。彼はこちらを見て、射抜くような視線を寄越したあと、にんまりと笑って背中から赤いバラの花束を取り出した。学校中からきゃあと悲鳴が上がり、校門前の生徒だけではなく校舎から身を乗り出した生徒までも宮くんとわたしを交互に見ている。わたしの心臓は今までにないくらいに忙しなく動いていて、今日だけで寿命が何年縮まるんだろうと思う。体温が上昇し続けてオーバーヒートしそうだ。

「ずっと好きでした。俺とつきあってください」

 何十人、もしかすると百人を超えているかもしれない生徒の前で、宮くんはわたしへの想いを叫んだ。体が震える。恥ずかしい。だけど、それだけじゃない。それに勝る感情がわたしを燃え上がらせる。視界がぼやける。目の前で星が爆ぜる。迫りくる衝動を抑えられない。

「わたしも、ずっと好きやった」

  両手を手すりにかけ身を乗り出して叫ぶ。ありったけの気持ちを込めて叫んだので息が切れる。割れんばかりの拍手、歓声、悲鳴。職員室の窓が開いて、何事かと先生が顔を見せた。
 宮くんはそれすら意に介さず、優しく目を細めて両腕を広げている。

「ほれ」
「なにそれ」
「抱き締めたるから早よ来んかい」

 飛び下りろってわけじゃないよね、と思いながらどうすればいいか悩む。ここは二階。飛び下りれない高さではない。わたわたと右往左往していると、宮くんは腕を広げたまま眉間にしわを寄せて、わたしを急かすようにふたたび叫んだ。

「早よ! まあまあ恥ずいねんて」

 さすがの宮くんもこれだけ一身に視線を受けると恥ずかしいらしい。ほんの少し顔を桃色に染めた宮くんを見て、ざまあみろと思う。
 スクールバッグとマフラーを引っ掴み、巻いた髪の毛がくずれることも気にせず一気に階段を駆け下りた。下に下りても宮くんは両手を広げたまま待っていた。わたしが来るまでこの姿で学校中の注目を浴びていたのだと思うと笑いがこみ上げる。
  嬉しい。会いたかった。大好き。信じる。
  宮くんにぜんぶぶつけるように、そのままの勢いで胸に飛び込むと、体が軋むくらいぎゅうぎゅうときつく抱きしめられた。見上げると熱のこもった目で見つめられて網膜が焼けそうになる。

「夢みたいやわ」

 宮くんの甘くて低い声がわたしの脳みそをどろどろに溶かす。訳もなく泣きそうになって、宮くんの胸元に顔を押しつけると、宮くんに片手で頬を掴まれて無理矢理上を向かされる。視線が絡んでほどけない。

「夢じゃないって確かめてええ?」

 かさりと音を立てた花束がわたしと宮くんをふたりの世界に閉じ込める。大きな花束の影に隠れて生徒の姿が見えなくなると、宮くんは、ふ、と笑みを零して、わたしの唇に軽く口づけた。

「え?」

さん、やっぱかわいいな」

  初めての感触に、思考が停止する。ただただ宮くんを見つめるしかできないでいると、宮くんは意地悪く笑って自身の唇を人さし指で指差した。それから何をされたのか理解して、ボンと音を立てて赤面する。
  その表情をたっぷりと見つめた宮くんは、飼い犬を愛でるように「かわいいかわいい」とわたしの頬をぺちぺちと叩いた。

「ここをどこだと思ってるんですか」

 全校生徒の前で熱い抱擁を交わすわたしたちに見兼ねた先生が職員室から出てきてカツカツとヒールの音を鳴らしている。キンキン声で近づいてくるので宮くんは片耳を押さえて「逃げよ」とわたしの手を引いた。少し小走りになって、スクールバッグに入った手作りのガトーショコラが踊り出す。
 中学生のかわいそうなわたしはもういない。頑張れって応援してる。もう一度、ここからやり直そう。北風にだって負けない。わたし達の熱い恋は、始まったばかりだから。