少年の夢は世界を焦がす





「乙女の夢の麗しきことよ」の後日談です。





1.

 段々と温かみを増してきた日差しにあたるわたしの髪の毛は、染められたばかりだからか柔く光を透かせていて、めきめきと春らしく、鏡ばかりを見てしまう。
 先日卒業したばかりの白鳥沢学園の制服は行くあてもなくハンガーにぶら下がったままで、寂しそうにわたしを見ている。わたしはというと慣れない化粧に悪戦苦闘しながらこれから始まる大学生活に想いを馳せ、それでも残していくつとむ君のことを心配せずにはいられなかった。

『明日、家に行きますから』

 昨日の夜、メッセージを受信したスマホが突然震え、お風呂あがりでぼーっとしていたわたしの心臓はちいさく悲鳴をあげた。送り主がつとむ君だと分かるとさらに胸が締めつけられた。
 卒業式の日、先輩の前であんなにも泣いていたつとむ君は、わたしにはその泣き顔を見せることはなかった。それは最後の最後まで。唇を噛み締めて何かに堪えるように瞳を大きく揺らした彼は一輪の花束をわたしに押しつけただけ。

「卒業、おめでとうございます」
「ありがとう」

 そんな簡素な言葉を交わしただけで、つとむ君は先輩を送る会があるからと踵を返した。わたしもわたしでお世話になった先生に挨拶したり、遠くの大学へ行ってしまう友人たちとご飯を食べに行って夜まで遊んで、その日は慌ただしく過ぎ去ってしまったのだ。
 今日のバレー部の練習はおそらく夕方まで。日が高くなっていくにつれて部屋の温度も上昇していく。そしてわたしの体も汗ばみ始める。嫌な汗だ。きっと緊張している。
 二人の間を冷たい風が吹き抜けるようになって一ヶ月。つとむ君から何の話をされるのか。そればかりが気になってわたしは眠れなかった。
 彼の弾けるような笑顔を見なくなったのはいつからだったのだろう。目蓋を閉じて浮かぶのは、わたしの大好きな太陽みたいに眩しい笑顔なのに。


2.

 きっと夏を擬人化すればつとむ君みたいな人になるのだろう。そんな高校最後の夏を迎えてわたしの気分は高揚していた。いつでもつとむ君が近くにいるような気がしたからだ。わたしはつとむ君が好きで、彼もきっとわたしのことが好きで。そして、両片思いのもどかしさを楽しむように付かず離れずの関係のまま、夏休みに突入した。すると、それまでの甘やかな気持ちは会えない時間が蓄積するにつれ、つまらないと思う気持ちと焦りと寂しさに変わって、ぐるぐると渦を巻くようにわたしの心臓はのみこまれそうになってしまった。まだ想いは伝えない、なんて夏休み前は思ってたくせに夏も半ばを迎える頃にはどうにかしてこの関係から脱出したいともがいていた。けれど、低いようで高いこの壁を彼の方から壊してくれるような気配は全く感じられなかった。
 わたしの幼馴染である若利をライバルとして見ているつとむ君は、何かとつけて若利と比較していた。もしかすると彼の中に、わたしには理解出来ないルールが作られていて、何でもいいから若利に勝ってからじゃないとわたしとの関係を変える気がなかったのかもしれない。わたしが若利の幼馴染であるということを誰よりも気にしていた彼だから。だけど、こんなことを誰かに言ったところで自惚れだとか言われることは目に見えている。
 変わりたいなら自分自身で変えようとしなくちゃいけないのだろうと薄々感づいてはいたものの、男の子からきてほしいと思うのは恋する乙女の夢だった。
 でも夢は夢、現実は現実。この関係を変えるきっかけをくれたのは、夏期講習で学校を訪れたわたしに話しかけてきた天童だった。少しだけつとむ君の姿を見ようとこそこそ体育館を覗いていたわたしに天童は企みを含んだ笑顔を向けていた。夏も真っ盛り。体育館前には大きな向日葵が咲き誇っていた。

「インハイ前だっていうのに、つとむの元気がなくてねぇ。次期エースはちゃんが足りてないんじゃないの?」

 他人を分析する能力に長ける天童のその一言は、わたしにひと匙の勇気を与えてくれた。ヒントはちょうどテレビで放映されていた夏の高校野球特集でピックアップされていたマネージャーの行動だ。倣うように手作りのお守りを作ったのだ。
 慣れない手作業で作り上げたお守りは、神社やお寺で売っているものに比べればかなり歪なものだったけれど、想いは充分に込めている。インハイ間近に完成したそれを手に、また体育館に足を向けると、息を切らしたわたしに何かを察した天童がつとむ君をこちらに寄越してくれた。
 驚きと困惑と喜びを胸に携えたようなつとむ君の顔は、複雑な表情をしていた。

「どうしたんですか?」
「ちょっとこっち来てほしいの」

 玉のような汗を拭うつとむ君の手を引いて、体育館から丸見えの場所から向日葵の陰に隠れる場所まで移動すると、手にしたお守りを彼に真っ直ぐに差し出した。汗でふやけていないか、ほんの少し心配だったけれど。

「何ですか、これ?」
「何ってお守りだよ。インハイの勝利を願って作ったんだけど、迷惑だった?」

 恐る恐るといった風にお守りに触れたつとむ君を覗き込めば、ぶんぶんと音がするくらい勢いよく顔を横に振った。ホースの水をかけられた犬みたいな仕草でちょっぴり笑ってしまった。

「……俺に、ですか?」
「そうだよ。若利にも作ってない。天童にも、瀬見にも、誰にも作ってない。つとむ君だけだよ」

 勇気を振り絞って言った言葉につとむ君は眉を寄せ、しかめっ面で息をするのも辛そうに顔を歪めた。切なげな瞳を揺らしながら、視線をわたしから外し、乾きかけた花壇の土をぼうっと見ている。

「そんなことされると、勘違いするじゃないですか」
「してよ、勘違い。ううん、勘違いじゃない。もっと自惚れてよ」

 わたしはいつからこんなことが言えるずるい女になったんだろう。つとむ君は、鋭くて吸い込まれそうな真っ黒な瞳でわたしを見つめたあと、わたしの頬を両手で掴んで熱い唇を押し当てた。わたしの背丈ほどある向日葵が、唇を合わせる二人を程よく隠していて、わたしはつとむ君の首に腕を回してかかとをあげて応えた。つとむ君ってやっぱり夏の化身なんだなあと、頭の片隅でぼんやり思いながら。

3.

 季節が移ろいで、夏の名残も感じられなくなった秋のあの日、王者と呼ばれていた白鳥沢は春高予選の宮城大会決勝で敗北を喫することになる。秋というよりも、もう、冬の足音が近づいていた頃だ。
 それからというもの、つとむ君は若利に張り合うことはやめてしまったようで、毎日会う学食でも若利と同じものを食べることをやめてしまったし、食べた量を若利に報告することもやめてしまった。
 わたしに若利のことを聞くこともなければ、わたしが若利と話していても気にも留めなくなっていた。
 ようやくつとむ君がつとむ君らしく、誰と比較することもなく努力出来る心境になったのだと、彼の成長を嬉しく思ったけれど、同時にさみしかった。前みたいに「牛島さんと近すぎです」とわたし達の間に割って入って欲しかったり、「ちゃんと俺だけ見てください」と独占欲を露わにして欲しかったり、わたしはヤキモチを妬いてもらえることが密かに嬉しかったのだ。
 今思えばこの頃からだったのだろう、つとむ君の無邪気な笑顔を見ることがなくなったのは。
 きっとつとむ君にとって若利の存在というのはわたしが想像するよりも偉大で、目指すべき姿で、越えるべき背中だったのだ。そこへ早く追いつきたいというがむしゃらな気持ちが焦りに変わっていることに気づかなかったわたしは、わたし自身のことで精一杯だった。だって、あと2ヶ月足らずで大学受験が始まるところだったのだから。

「1年の強化合宿に呼ばれて頑張ってるみたいだよ」

 つとむ君から聞かなくなった部活の話は天童が時々教えてくれていた。それに安心しきって、その座にあぐらをかいていたわたしが悪かったのだ。彼の強がりに何一つ気づいていなかった。


4.

 街が赤くかわいらしいリボンに包まれて甘い香りを放ち始める、世間でいうバレンタイン。冬の底から段々と這い上がってくるようなそんな季節は、受験生にとってもとりあえず一息つける頃。前期試験が終わったのだ。
 初めて出来た彼氏と過ごす初めてのバレンタインに、いくら受験生だからといって何も渡さないわけにもいかないし、どうせなら手作りしたいと思うのは、わたしが未だ恋する乙女だからだ。つとむ君の尻尾を振って喜ぶ姿を見て、彼の体温をぎゅっと抱きしめたかった。
 このために買ったレシピ本をパラパラとめくりながら、お菓子作り初心者でも何とか作れそうなチョコブラウニーをチョイスする。毎年、チョコはデパートで買っていたのだ。だってその方が美味しくて贅沢だと思っていたからだ。なによりもショーケースに並べられたチョコレートは宝石みたいにきらめいて女の子を虜にしていた。
 そんなわたしが初めて男の子のためにチョコレート菓子を作るのだからなかなかうまくいかない。家にあるオーブンのさじ加減が分からず、何度かやり直しをするはめになった。けれど、焼き上がりを待つ30分ほどの間は、甘い香りを嗅ぎながらつとむ君のことだけを考えられる特別な時間が刻まれていて、好きな人のためにお菓子作りするのって幸せだなあと初めて思った。
 結局、つとむ君に渡しても恥ずかしくない出来具合に完成する頃には、甘いものをあまり食べない家族が片づけるには少ししんどい量の失敗作が出来あがってしまった。
 しょうがない。少しだけ若利におすそ分けしよう、と何も考えず、つとむ君に渡すものと同じ外袋に失敗作を詰め込んで当日は家を出た。もちろん中身もラッピングもつとむ君のものは特別だし、一緒なのは外袋だけだから大丈夫。きっと成長したつとむ君は気にも留めないだろう。わたしはチョコレートよりも甘っちょろい思考回路の持ち主だったのだ。
 外に出て、少し積もった雪を踏みしめながら学校へ向かう。肌を刺すような寒さはまだまだ和らぐ気配はなく、外気に触れた鼻がつんとしてきたので慌ててマフラーの中におさめた。
 自由登校になってから久しぶりの学校は少し緊張する。ほぼ学校には行かないわたしに会いに、つとむ君は週一でロードワークがてらわたしの家の近所まで来てくれていた。

「勉強頑張ってくださいね」

 そう言って別れ際にする触れるだけのキスが少し物足りないけど、わたしの体温を上げるには充分すぎるものだった。
 体育館を覗こうとすれば、ちょうど練習が終わったところで一、二年生が片づけをしていた。扉のすぐ側では若利がクールダウンを行なっていて、スポーツ推薦で進学するからきっと自主練習に来ていたんだろう。

「ねえ、若利久しぶり」

 こっそり話しかけると若利は少しだけ目を見開いてぴたりと動きをとめた。

、どうした?」

 週一で会うつとむ君とは違って若利と会うのは年始以来だ。のそりと立ち上がった若利に、相変わらず大きいなあと見上げながら失敗作のブラウニーを差し出すと、遠慮がちに手を伸ばし受け取った。

「これ、俺が受け取っていいのか?」
「うん、本命はこれ。若利のは失敗作だから。って言っても形が悪いだけでちゃんとおいしいから大丈夫」

 大事に抱えたつとむ君用のブラウニーを見せると若利は安心したようにふんと鼻で笑った。

「ありがたく受け取っておく」

 それに軽く頷けば、少し待ってろと若利がわたしから離れてつとむ君の方へと近づいた。もう、頼んでないのに、と思ったけれど、これは単なる照れ隠し。長年一緒にいる若利に協力されてしまうと何だか体の奥がむず痒かった。

「五色、が来ている」

 低い声が体育館に響いてみんなの視線が一気にわたしに集まった。思わず肩をすくめて体を扉に隠してしまった。タッタッタッと軽快な足音が近づいたと思えば、間髪入れずにつとむ君の姿が現れる。「さん」と呼ぶ声は想像していたよりも弱々しくて、泣きそうな顔をしていた。

「こっち来て」

 冬なのに熱い手のひらを引いて、また、夏のあの場所に連れ出す。いくら公認でつき合っているとはいえ体育館の真ん前で、誰に聞かれているか分からないところで渡すのはさすがに恥ずかしい。

「これ、バレンタインのお菓子。初めて作ったからいっぱい失敗しちゃった」

 差し出した紙袋を受け取ったつとむ君は、わたしが期待していた反応を見せたることなく俯いたまま、白い息を吐いていた。

「どうしたの?」

 紙袋を持った手に少し触れると、びくりと体を震わせたつとむ君が途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。いつもの大きな声とはまったく違う喉をしぼるような苦しい声だ。

「……これ、牛島さんにも……渡してましたよね?」

 わたしはハッとした。負けたときから今まで口にしてこなかった『牛島さん』という言葉が今、出てきたことでつとむ君が抱えていることが大きなことだったのだとやっと気づいたのだ。

「違うの、若利に渡したのは失敗作で。つとむ君のはすごくきれいに出来たもので、つとむ君のはやっぱり特別なの」

 取り繕うとすればするほど、安っぽい言葉に聞こえるのは何故なんだろう。顔を上げたつとむ君は頬を上気させながら、歯を食いしばっていた。

「特別っていうなら俺だけに渡して欲しかったです。やっぱりあなたは俺だけが特別なんじゃない、牛島さんも特別な存在なんですね」
「待って」

 手を伸ばそうとしてやっぱりやめた。薄着のままのつとむ君をここへ引き止めることに気が引けたし、何よりつとむ君が言ったことは本当だった。弁解の余地もない。抱いている気持ちは全くの別物だけど、わたしにとって二人は特別な存在だった。
 今、つとむ君は熱くなりすぎている。わたしも今、話したところでうまく言葉にできる自信がない。
 遠ざかるつとむ君の背中は小さく丸まっていた。夏に植わっていた向日葵は見る影もなく、わたしたちの心に空いた穴みたいに花壇は冷たく雪に覆われていた。
 本当なら声を大にしてちゃんと伝えるべきだったのかもしれない。大好きだって気持ちはずっと変わらないって。その気持ちももっと大きくなってるんだって。つとむ君の本心を見抜けなかったくせに、言えた義理  なんてないって分かってるのに。

5.

 日が傾き始めてわたしの影も長く伸び始めた頃、家の呼び鈴が鳴り響いた。パタパタとスリッパの音を立てながら玄関に向かうと、冬なのにじんわりと汗をかいたつとむ君が立っていて、いつも分かりやすいくらい表情が変わるのに、今日は何も読み取れない。というか、バレンタインの日を彷彿させるような顔を全く見せないので、あの日のことがなかったかのようにさえ思えてしまうのだ。

「ちゃんとモニターで確認しましたか?」
「し、してない……つとむ君だと思って」
「そんなんじゃ大学生になってからも心配ですね」

 つんと首を伸ばしたつとむ君に何だか白布くんみたいなこと言うなあと苦笑しながらスリッパを用意すると、お邪魔しますと靴を揃えたつとむ君とわたしの部屋へ向かった。
 よかった、声色も普通だ。
 安堵の息を漏らしつつ部屋の扉を開けるとコタツにつとむ君を座るように促した。

「ココアでいい?」

 部活終わりだし甘いものの方がいいかなと思って提案したけれど、つとむ君はコタツに座ることなくわたしの横に立ったまま、染められたわたしの髪の毛をサラサラと弄び始めた。

「今は大丈夫です。それより……髪、染めたんですか?」
「う、うん。春から大学生だし、心機一転!」

いきなりのことで動揺する。心臓がうるさいくらい高鳴って、顔が熱い。そういえば、つとむ君ってしれっと学食で『あーん』を要求したり、「可愛いです」と平気で言ったり、会って間もない頃から大胆だったのだ。
 
「よく似合ってます」
「あ、ありがとう」

 相変わらずストレートな物言いにやっぱりこっちが照れてしまって、それを誤魔化すように袖を引っ張り2人でコタツに滑り込む。
 久しぶりの彼の体温に、コタツなんて必要ないくらい全身がぽかぽかしてきたけれど、時折ぶつかる2人の足が何だか愛しくってコタツからは出れないし、出る気なんて起きない。

「そんなさんにはコレです!」

 ニコニコと笑顔を見せたつとむ君は春先のタンポポみたいで、長い冬が明けたみたいな気持ちになった。見ているこっちがあったかくなるような笑顔を見たのは随分と久しぶりだった。

「なあに?」

 水色のリボンがあしらわれ、かわいくラッピングされたそれを受け取れば、「早く開けてください」と急かされる。折角だから包装紙もきれいに開けたいと思っていたのに、変な力が入ってビリビリと破れてしまった。あーあ、これだから不器用って嫌になる。と、内心落ち込みつつも、『待て』をされている犬のようなつとむ君を見ると絆されてしまう。
 中から出てきたのは星をモチーフにしたバレッタでカジュアルな服にも少しキレイ目な服にも合わせられるような、とてもセンスのいいものだった。

「……かわいい」

 つとむ君がわたしのためにこれを選んでくれている姿を想像すると感動して思わず溜息が漏れてしまう。一人じゃきっと照れたり強がったりして選べないだろうから、店員さんとあーだこーだ悩んだんだろう。なんて、可愛くて愛おしいんだろう。

「でも、なんでこれ……」
「なんでって、今日、ホワイトデーじゃないですか」

 あっ、と小さく息を飲めば「そんなんだから大学生になっても心配なんですよ」とまるで自分が年上みたいな言い方をする。
 だって、バレンタインがあんな状態だったのだからお返しなんて貰えるはずがないと思い込んでいたのだ。ホワイトデーなんてイベント、すっかり頭から抜け落ちてしまっていて、今日会うのだって重大な話があるのかと思ってずっと緊張していたのだから。

「つけてみましょう」

 つとむ君は何故かとても器用で、わたしの髪を緩くひとつに編み上げていく。そこへバレッタを差し込んで留めると、鏡を見るように促される。

「ほら、やっぱりよく似合ってる!」

 ぱあっと咲いた笑顔にわたしもつられて笑顔になる。そうだ、これだ。わたしはつとむ君の笑顔が大好きで、もう曇らせたくない。

「ねえ、つとむ君、若利のことだけど……」

 これからの2人のこと。大事な話だ。逃げたくない。誤魔化したくない。ちゃんと話をしとかないと、後々きっと綻びが出てしまう。

「ごめんなさい!」

 わたしが言葉を続けるよりも先に頭を下げたつとむ君にぎょっとしてあわあわと頭を上げてもらうと、つとむ君はさっきとは真反対の真剣な顔をしていてわたしは言葉を失った。

「俺、ずっと牛島さんを越えなければいけないと思っていました。だけど、追いつけなくて、焦りばかりが募って。でも卒業するさんが心配するだろうから、さんには敢えてその姿を見せないようにしてきました」

 初めて聞くつとむ君の本心にわたしも真剣に耳を傾ける。成長したんだとわたしが勝手に思っていたあのときのつとむ君は、無理して精一杯の強がりを見せていたのだ。

「俺、やっと気づいたんです。牛島さんは牛島さん、俺は俺。牛島さんになる必要はない、俺は俺の目指すエースになればいいんだって」

 若利と張り合って比較していたつとむ君はもうそこにはいなかった。一際大きくなって、すっきりとした表情でまっすぐ前を見据えている。

「つとむ君、わたしに言ったよね。わたしにとってつとむ君だけじゃなくて若利も特別な存在なんだって」

 こくりと頷いたつとむ君はぐっと唇を真一文字にひき結んだ。

「その通りだと思った。2人とも大事なの。だけど、抱いている感情は何一つ違う。若利に対しては家族に抱くようなものだし、つとむ君は好きで好きでたまらない!」

 そこまで言えば黙って聞いていたつとむ君が、わたしをきつく腕の中に閉じ込めた。ぎゅうぎゅうと痛いくらいの締めつけが嬉しくて、感情がじわじわと心のうちから溢れてくる。それは涙となってわたしの睫毛を濡らし、つとむ君の肩口まで浸食してしまう。
 ずずっと鼻をすすると名残惜しげに体を離したつとむ君が、スポーツバックをがさごそ漁り始め、わたしが以前にプレゼントしたフェイスタオルを取り出した。

「うぇっ!?」

 それでわたしの鼻を拭って、ぎゅんと鼻を摘まれる。「汚いよ」ともごもご鼻声で呟けば「俺がもらったものだから俺がどう使おうと勝手だ」と強気に返されて、顔が近づいてコツンと額がぶつかり合う。

「俺もさんのこと大好きです。正直まだ牛島さんに妬いてしまうことはありますが、今、すごく清々しい気持ちです」

 自信満々に頬を緩ませたつとむ君にやっぱり君はそうでなくちゃと思いながら目を閉じる。依然鼻は摘まれたままで息が出来ず、口を微かに開けばするりと舌をねじ込まれ、深く深く味わうようになぞられていく。
 彼はいつの間にこんなキスを覚えたのだろう。いつもぎごちなく唇を合わせて顔を赤くしていた2人だったのに。
 目眩がしそうなくらいとろとろになるのと同時に苦しくなって胸をドンドンと叩けば、物足りなさげにムッとしたつとむ君がわたしを見下ろしていた。
 自分の胸に手を当てて息を整えていると、「あ!」と思い出したようにまたスポーツバックを漁り、今度はクッキーを取り出した。

「これもホワイトデーのお返しです!バレー部の先輩たちと一緒に作ったんです。さんには色々お世話になったからって」

 お世話といってもたまに差し入れを持っていったり合宿の食事の準備を手伝ったり、大したことはしてないんだけど、みんなの気遣いにまたじんわりと目蓋が熱くなる。

「聞いてくださいよ。俺、お菓子作りは牛島さんより断然うまいです!」

 えっへんと胸を張るつとむ君に思わず笑いがこみ上げてきて、目を細めれば涙の膜が壊れてまた頬を濡らしだす。
 つとむ君は強い。会わない期間に、またひとつ、大人になって、一歩一歩確実に成長していく。これからもきっとたくさんの困難にぶち当たっても、おんなじように乗り越えてまた大きく成長するんだ。
 卒業したわたしがその過程を一番近くで見れなくなるのはちょっぴり残念だし、これから登りつめる10代の山場は、その山をゆっくり下りているわたしにはとても眩しくて羨ましい。16歳の君は、今も、昔も、これからも、わたしの世界を燃やし、焦がし続けるのだろう。








第三回白鳥沢定例会『ホワイトデー』をテーマにお話をひとつ。
瀬見さん×両片想い→リサコさん(HIT ME!)
白布くんへ片想い→イオさん(sui)
川西くんの片想い→ウヅキさん(switch)
五色くん×恋人→ ララ(odette)