ふたりの童話




「なんてかわいいしあわせの音・4」とリンクしていますが、読まなくても大丈夫です。



 テレビの中のお笑い芸人が笑い転げているのを見ながら、そろそろ山形くんの部活も終わるかなと伸びをする。うーん、彼のダジャレはいつになったら上達するんだろう。でも段々それが癖になってきているような気がするのがくすぐったい。あのダジャレを聞いてついつい笑みが零れてしまうのは、わたしの彼氏だという色眼鏡で見てしまっているからなのだろうか。すごくかわいいと思うんだけど。遅くまで練習を頑張っている彼に「お疲れ様」とメッセージを送りたくて携帯を探したが近くにはない。スクールバッグの中だろうと思ってがさがさと漁るが、いつも入れているところに見当たらないので一応中身を全部出してみる。

「あれー?どこいったんだろ。」

 教科書の隙間にも挟まっていないしバッグをひっくり返しても落ちてこない。制服のポケットかなと思ってスカートのポケットに手を突っ込んでみるも中はすっからかんで、ブラウスの胸ポケットは見てのとおり何も入ってないし、ブレザーのポケットの中もリップクリームと目薬くらいだ。

「えーっと……」

 目頭を軽く押さえながら今までの自分の行動を遡ってみると家では携帯を触っていないような気がする。帰り道でも使ってないし……あっ、最後に触ったのは学校を出る直前に山形くんと話をしたときだ。そのときの状況を詳しく思い出そうと椅子に座って目を閉じたまま天井を見上げる。
 今日はちょっとだけバレー部の練習見て帰ろうと思って体育館に寄った。ちょっとだけ、と思っていたのにいつもおちゃらけているバレー部の男子たちが真剣な顔つきで汗を流しながら練習している姿は、帰宅部のわたしにとってみればとても眩しくてついつい見入ってしまった。いつの間にか休憩時間になり、そろそろ帰ろうと体育館の扉から体を離したところで山形くんに呼び止められたのだ。4月の半ば、日が落ちて橙と紺が混じる時間帯はブレザーを着ていてもまだほんの少し肌寒かった。

「お疲れ!」
「おー、サンキューな!」

 そう言いながらハイタッチを交わした。彼の手は体を動かしていたせいかとても熱く、逆にわたしの手は冷たくてじんわりと彼の熱を吸収していった。わたしの手と彼の手はその一瞬だけしか触れなかったのに、すっかり冷えてしまったわたしの体を山形くんは見逃さず、彼は自分のジャージを肩からかけてくれた。ふわりと香る彼の匂いがわたしの心を高鳴らせる。まだ付き合って間もないので、抱き合ったことなどないけれど、これでは完全に抱きしめられているのと一緒だと脳が勝手に認識してしまいクラクラした。
 きっとそのときだ。わたしは彼のジャージのポケットに自分の携帯を置き去りにしてきた。山形くんが話しかけてくれたあのとき、確かに自分の手には携帯が握られていたはずだ。つきあってると似てくるのかな。だって冬場は彼の携帯もわたしのコートのポケットの中に入っていたことがあったのだ。

「今からでも取りに行こうかな。」

 椅子から腰を上げ、ジャケットを羽織る。幸い、家から学校までは歩いて15分程度だ。また山形くんに会えると思えば往復30分かかるけれど無駄な時間とは思えず、玄関のドアを開け学校に足を向けた。
 見上げればすっかり暗くなっていて、帰るときに一番明るく輝いていた一番星も今は地平線の近くまで移動し、他の星たちに紛れてしまっている。どうやって声かけようかな、とか、急に現れたわたしにびっくりするんだろうなとか思いながら歩いていると自然と顔は緩み15分なんてあっという間で、バレー部の練習している体育館に着いてしまった。
 少し開けられた体育館の扉からは煌々と光が漏れ出していて暗い空に光の筋を作っていた。そこへ近づきそっと中を覗き込むと山形くんがきれいな女の人と向かい合っているのが見えた。その人は大学生くらいだろうか、誰かのお姉さんかなと思って見ていると背比べをしているような感じで彼と彼女の距離が少し縮まった。彼の顔を見るとほんのり赤みが差していて照れたような表情をしていたために、わたしの心はぎゅっと鷲掴みにされ搔きむしられたような感覚がした。そんな顔、わたし以外に向けないで、なんて思ってしまうのはいけないことなんだろうか。ジャケットの襟元をぎゅっと握って唇を噛み締めていると、瀬見くんがタオルを首にかけながら扉から出てきて肩と肩がぶつかってしまった。

「あ、わり!って!?」
「こっちこそごめんね。ちょっとぼーっとしてて……」

 わたしの顔には焦燥感が浮かんでいたのだろうか。瀬見くんはすぐに状況を察知したらしく、ちらりと体育館の中を見遣ると歯切れ悪そうに「あー……」と頭をかいた。

「あの人、白布の知り合いってだけだから。」
「うん、大丈夫、ちょっとびっくりしただけ。」

 ちょっと、じゃないけど。平常心を保ちたくて嘘をついた。どういう話の流れであの状況になったのか知りたいと思ったけどそれを知ってわたしはどうするんだろう。自分の中で押し問答している間に瀬見くんは水道で顔を洗いに行ったようだ。でもやっぱりもやもやする気持ちをどうにかしたくて、犬のように顔をぶるぶる振りながら戻ってくる瀬見くんに声をかけた。

「何の話してたの?」
「身長の話?」
「それだけであんなに照れる?」

 瀬見くんは眉尻を下げてとても困った顔をしている。何故か関係のない瀬見くんを責めるような雰囲気になっているのが申し訳ない。やっぱりいいよ、と言おうと思ったとき瀬見くんが言いにくそうに口を開いた。

「あー……キスしやすい身長差だねって話。」
「そっ……か……」

 キスか。キスなんてまだまだ先のことだと思っていた。あの女の人とわたしの身長は同じくらいだろうか。そしたらわたしとだって充分キスしやすい身長差だ。そう思うと何だかメラメラと闘争心と嫉妬心がごちゃまぜになって、それは眉の辺りに現れたらしい。瀬見くんが「」と言いながら自分自身の眉を人差し指でハの字型に下げたので、わたしもそれに習うことにした。

「隼人呼ぼうか?」
「ううん、出てくるまで待つからいいよ!」

 そう答えると瀬見くんは頷き体育館の中へ戻っていった。おかげで少し落ち着いた。けどそれは見かけだけで心の奥の方ではまだくすぶり続けているので、山形くんが出てきたときにどうしてやろうかと作戦を考える。体育館の扉にもたれかかりしゃがみ込んでいると、ふわりと肩から何かがかけられ彼の匂いに包まれる。

「どうした?」

 見上げれば山形くんが優しく笑っていた。結局瀬見くんが声をかけてくれたようだった。肩からかけられていたものはもちろん彼のジャージで、ポケットに手を突っ込むと案の定そこにはわたしの携帯が入っていた。

「これ、探してたの!」

 腰を上げながら携帯を持ち上げ彼の目の前に突き出すと、目をまんまるに開いて驚いた顔をしていた。彼も全く気づいていなかったようだ。

「悪い!」
「ううん、こっちこそ。」

 じっと彼の顔を上目遣いで見つめると、彼は照れたようにほんのり頰を赤くし、視線を泳がせた。でもまだやめてあげない。さらに一歩、距離をつめ両腕を掴むと彼は今度は体を強張らせた。そして、また上目遣いで見上げ背伸びをして、さあ、言ってやるんだ。

「わたしだってキスしやすいでしょ!」

 彼は茹で蛸のように赤くなり、「ちょっと待てちょっと待て」と言いながら慌ててわたしの肩を掴み、強引に部室の方へ押していった。キスはどうやらおあずけのようだ。部室に入った彼はわたしと距離を取り着替え始めたのだから。キスはだめで着替えはOKなのはよく分からない。膨れっ面のままで彼を見つめていたけど、ちらりちらりと山形くんの筋肉質なお腹が見え隠れするとさすがに恥ずかしくなり視線をそらせた。

「もう遅いし、送るわ。」
「うん、ありがと。」

 でも、まだもやもやする。部室を出ても機嫌を直さないわたしに、彼は戸惑っているようだった。

「なー、怒ってんの?」
「だってキスしてくれないんだもん。」

 彼はまた耳まで真っ赤にしてがしがしと頭をかき、反対の手でわたしの手を掴んだ。相変わらず熱い手で、それはわたしの感情を高ぶらせ何だか泣きそうになった。

「体育館でのこと、見てたんだろうけど、俺たちは俺たちのペースで進んでいけばよくねえか?」

 うん、分かってる。でもここまできたら意地なのだ。手は繋いでる。じゃあその先は?いつになったらキスしてくれるの?いつになったら抱き締めてくれるの?そんなことを考えていると無口になってしまい、山形くんは、はぁと短く息を吐いた。怒ってしまったのだろうか。呆れられてしまったのだろうか。じんわりと涙がこみ上げてきているような気がして唇を噛みしめた。
 あっという間の15分だった。これといって大した話もできず、ただただ、わたしが意地を張っていただけの15分。もう家に着いてしまったので門扉に手をかけたのだけど、肩を掴まれくるりと向きを反転させられたので山形くんと向き合う形になった。

「どうした……の……」

 彼の手によって頰を挟み込まれ最後の一文字はうまく言えなかった気がする。目を閉じた彼の端正な顔が近づいてきたので思わず目を閉じると唇に熱くて柔らかい感触が伝わった。それが名残惜しそうに離れていったので目を開けると、顔を赤くした山形くんと目があってわたしも思わず赤面してしまった。

「俺だってずっとしたいと思ってたから。だから泣くな。」
「うん、なんか、ごめん。」

 泣いてたかな。かろうじて涙は出てないはずなんだけど。でも、キスしたんだ。そう思うとまともに山形くんの顔が見れなくなってしまった。頭の中はピンク一色だ。

「じゃあ帰るな。」
「うん、送ってくれてありがとう。」

 肩にかけられていたジャージを返しながらお礼を伝えると、彼は慌てながらポケットに手を突っ込んだ。

「おい、また入ってる!」
「あ!」

 山形くんはわたしの携帯を取り出しながら「何か俺たち似てきたな!」と曇りなく笑った。うん、そうだね、わたしも同じこと思ってたよ。そう言おうと思っていたのに彼の次の言葉で色々吹き飛んでしまった。

「結婚したらどうなるんだろな?」

 気が早すぎるでしょ。顔がさらに熱くなってきて両手で抑えるとひんやりした自分の手が気持ちいい。「じゃ!」と言って手を上げて帰っていく彼の背中を見つめながら悶々と考えてしまう。結婚したら携帯なんて必要ないくらい一緒にいるんだろうな、なんて。わたしの頭、お花畑だ。ああ、もう!何だか今日は色々ありすぎて眠れそうにもないから、いっそこのまま君との未来を想像しながら心をピンクに染めていよう。