「おい、白布。おまえの言ってた変な女来てるぞ」
「え?」

ちょうど今、皆が部活の後の自主練を切り上げ、片づけ始めたところだった。俺が体育倉庫にいたときに彼女は来たようで、瀬見さんに言われて初めて彼女の存在に気がついた。
彼女は、大きな紙袋からタッパーを取り出しながら牛島さんと天童さんと楽しそうに話している。この時間に顔を出したのは、この前のデートのとき皆が帰る時間をついうっかり喋ってしまったからだろうか。余計なことをしてしまった。しかし、突然現れると驚くのは当たり前で、自分は何も聞いていない。
そう、何も連絡はなかったのだ。あれから一週間近く経ったが、一緒に出かけた日の夜に二言三言メッセージのやりとりを交わしただけで、それからは全く連絡がなかった。肩透かしをくらった気分だ。これは押してダメなら引いてみる作戦なのか。いや、でもあの女が自分に恋愛感情を持っていると確信を持っているわけでもない。学部内は男ばっかりだと言っていたので自分もその男友達の延長上にいるのでは、とも思う。となればその作戦も成り立たないわけであって。しかし、こうも悩んでるいるということは、結局彼女の術にはまってしまっているのでは。考えれば考えるほどイライラしてきて、それは思いっきり顔に出ていたらしい。

「変な女って、さんじゃないですか」
「お、おお。……何で怒ってんの?」
「は? 怒る理由なんて別にないですけど」
「おい、言い方!」

イライラしている理由なんて、前述したとおりだ。もしくは部外者が勝手に入ってきているからか。どちらにせよ何も知らない瀬見さんが変な女呼ばわりしていることが原因では絶対ない。絶対に! ない!



そんな悩んでいる白布くんの気持ちなんて露知らず。知る術もないわたしは、ただ単にどういうメールを送ればいいか分からなかっただけだった。作戦なんて考えてもいない。会いに行った方が早いと思って来ただけだ。勝手に入っていいのかなぁと思いながら、この前も入って大丈夫だったからこっそり入っちゃえと来てみた次第である。
体育館の扉が少しだけ開いて光が漏れ出している。そこから覗くと、ちょうど自主練を終えたらしく、ネットやら支柱やらを片づけていたところだった。そしてその扉のすぐ横で若利くんと覚くんがクールダウンを行っていた。顔見知りの二人がすぐ近くにいるなんて天はわたしに味方している!

「ねえねえ、若利くん、覚くん。こんばんは」
ちゃん!」

若利くんは鋭い目を少しだけ見開き驚いた顔をしているが、その顔は初めて見たときのように威圧感は伴ってなく、高校生らしいあどけない表情をしていた。覚くんは言わずもがな楽しそうな声と満面の笑みで、緊張してた気持ちを吹き飛ばしてくれた。

「勝手に入って来てごめんね。何かこの前みんなに良くしてもらっちゃったから差し入れ持ってきたんだけど、もらってくれるかな?」

紙袋から取り出したのはタッパーに入ったおにぎりだった。中高と運動部とは全く無関係だったため、いざ差し入れを持っていこうと思っても何を持っていけばいいか皆目見当がつかなかった。調べてみれば、おにぎりがオススメとのことだったので、それなら自分も作れると思い、持ってきたのだ。具材はいろいろ。鮭、おかか、梅、高菜、しらす。タッパーを開けながら説明していると覚くんは目を輝かせながら覗き込んでいる。心なしか若利くんもそわそわしているように見えて思わず口が緩む。

「うまそーだね。俺、腹が減りすぎて寮に帰るまでに死ぬと思ってたとこ!」
「天童は大げさだな」
「そういう若利くんだってさっきからお腹鳴ってるからね」
「そうだな。部活後は腹が減る」
「じゃあこれ、みんなでたくさん食べて!」

そう言えば、二人ともおにぎりから顔を上げた。「いいの?」「いいのか?」と聞いてはいるが、その手はおにぎりを掴もうとグーパーグーパーしている。育ち盛りの高校生ってかわいい。つい最近まで自分も高校生だったのにこんなんだったっけと思う。

ちゃんが差し入れ持ってきてくれたよー!」

覚くんの嬉しそうな声が体育館に響き渡り、残っていたメンバーが片づけもそこそこにわらわらと集まってくる。「あざーっす」と声をかけられながら自分の作ったおにぎりが口に運ばれていくのを見て、何だか照れ臭くなった。その光景から目を逸らすと少し離れたところで白布くんがこれまた不機嫌そうにこちらに顔を向けている。

「白布くーん!」

何だかいつも不機嫌な顔しか見てないなあと思いつつ、腕をぶんぶん振って呼んでみたものの「絶対そっちには行かねーからな」という思いがにじみ出ている。どうしたものかと考えあぐねていたら覚くんが「俺に任せて」と言って白布くんに向かって叫んだ。

「賢二郎の好きなしらすもあるよー!」



それを聞いてついつい動きを止めてしまった。しまった、こうなれば天童さんの思うツボなのに。にんまり笑いながら「早く来ないとなくなっちゃうよ」と言っている。そしてその横であの女は「白布くんってしらす好きなの?」と天童さんに聞いている。
ああ、そうさ、好きさ、悪いかよ。そしてやっぱりいくら白布賢二郎とあれども部活後は腹が減っているのだ。ここは素直に食ってやろうじゃないか。

「……いただきます」

食べ始めると彼女はにこにこ笑いながら「おいしい?おいしい?」と聞いてくる。無視するのもなんだし、まあ普通においしかったからうんうんと頷くとパァっと満足そうに笑い、皆に「おかわりあるよー!」と声をかけた。なんて単純な女なんだ。
おかわりを食べ始めたメンバーは輪になり、彼女に自己紹介をし始めた。俺は巻き込まれないようそっと距離を取り、ちゃっかりおかわりをいただくことにする。

「獅音くん、隼人くん、英太くん、工くん……太一くんはこの前会ったもんね」

彼女は名前を覚えるために復唱している。今日は主要メンバーだけなのでさんでも覚えられますね、という嫌味は心の中で言っておく。あまり関わってまた振り回されたらたまったもんじゃない。
復唱し終えた彼女は、その辺に転がっていたボールを拾い、「バレーって体育でしかしたことないんだよね」と言いながら、アンダーハンドサーブを打つため右手でこぶしを握った。そして、腕を後ろに引いて振り抜いた。けれど、その腕はボールにミートせずきれいに空を切る。打たれることのなかったボールが彼女の足元でポンポンと跳ねている。同時に爆笑が起こった。そして自分も少し吹いた。

さんって運動音痴?」

太一がいつもの顔を保つため笑いを堪えようと努力しているが、残念ながら口元がひくついている。彼女は「久々だからだよ!」と顔を赤らめながら必死に弁解している。年上らしからぬその姿は少しかわいいと思ってしまった。すると、一人だけ笑わずキョトンとしていた牛島さんがスッと立って、彼女の足元に転がったボールを拾い彼女の後ろに回った。

「こうだ」
「えっ? えっ?」

後ろから牛島さんに抱きかかえられるように腕を掴まれサーブを教えてもらっている彼女は、耳まで真っ赤だ。何だか無性に苛ついてきた。いや、この苛つきは別にちゃっかり彼女に触れている牛島さんに嫉妬しているわけではなく、それで顔を赤くしている彼女に苛ついているわけでもなく、彼女なんかが牛島さんに手取り足取り教えてもらっていることに苛ついているのだ。絶対にそうだ。と思いたい。

「若利くん、ちゃっかりそんなことしちゃって……」

天童さんが言ってることを全く理解できていない牛島さんは、頭にハテナがいっぱい浮かんでいるようだ。首をかしげて動きを止めている。

「俺が教えます!」

五色、おまえはそんなところで張り合う必要はない。

「ゆるく円陣パスでもやってみますか?」

大平さんまで彼女にそんな優しい言葉かけなくていいんですよ。彼女が図に乗っちゃいます。

「イーネ!」

天童さんのその一言でおにぎりを食べ終わったメンバーはゆっくり立ち上がり、円になり始めた。俺は絶対に参加しないと心に決めて、とりあえず手に残ったおにぎりを咀嚼する。
始まった円陣パスは彼女が下手くそでも他のメンバーが上手いためにそれなりに続く。見ていると彼女はオーバーハンドパスが苦手なようでバチンバチンと大きな音を鳴らしている。
セッターである自分はその汚い音が気になってもっと柔らかい音を出せよとさらにイライラしてきた。が、絶対に自分は教えないと心に決めている。
しばらく様子を眺めているとパスが途切れた。すると、五色がさっきの牛島さんのように彼女の後ろに回り込み、オーバーハンドパスを教えようとしているのが目に入った。

「五色!」
「ハイィィッ!?」

今まで会話に参加していなかった俺が突然大きな声を出したため、皆がこちらを向いた。五色に至っては、何で呼ばれたのか全く分からないと右往左往している。しまったと思ったが、とりあえずこの場を何とかやり過ごすしかない。

「おまえは俺と一緒にやるぞ」

五色は真っ青になりながら「何で俺だけ」とか「俺、何かしましたか」とかぶつぶつ言っているが、それには敢えて答えない。キョトンとしている彼女と牛島さん以外は笑いを堪えているのが分かる。
彼女は立ち上がった俺を見つめた。それから、周りのメンバーと見比べ、とんでもない一言を言い放った。

「白布くんってこの中だと背あんまり高くないんだね」

周りの血の気が引いた音がした。
この女、人が気にしていることをズケズケと。自分のこめかみにはおそらく血管が浮かんでいるだろう。
五色は青い顔をさらに青くさせて「白布さん、大丈夫です。白布さんは大丈夫です」と言っているし(何が大丈夫なのか分からない)、周りは「それはあいつに禁句だから」と彼女に忠告しているがもう遅い。彼女も慌てながらこちらに駆け寄ってきて「どっちにしても白布くんはイケメンだから関係ないよ」と言っている。俺は何も答えず、極力彼女を視界にもいれず、側から離れようとした。が、正面に回り込まれ両腕を掴まれたのでそれは叶わない。

「大丈夫! 白布くんの身長だとチューしやすいよ!」
「……は?」

思わず間抜けな声を出してしまった。いつもなら普通に躱せるのだ。「ばかじゃないですか」とか「しょうもないこと言わないでください」とか言えるはずなのだ。なのにそれが出来なかったのは、チューという単語からラーメンをすすっていた彼女の唇を思い出したことと今日の彼女の耳たぶにはこの前自分が買ったイヤリングが揺れていたためで、それを認識してしまうと顔に熱が集まるのが分かった。血の気が引いていたはずの周りも盛大に吹き出しているし(大平さんはにこにこしている)、五色は笑っていいものか悩んでいる顔をしているし、相変わらず牛島さんはキョトンとしている。

「賢二郎にそんな顔させられるのもちゃんだけかもね~」
「あっ!でも隼人くんもだ!」

掴まれていた腕は呆気なく離され、彼女はトテトテと山形さんの方に歩いていき、向かい合って背比べをしている。山形さんも「お、おお…!」だなんて満更でもなさそうにしないでください。
とりあえず赤くなった顔を隠すためにその辺に置いていたタオルを掴みごしごし拭く。五色がおろおろしていたので「もういい」と言うと、「すみませんでした!」と円陣パスに戻っていった。
くそ、結局振り回されているじゃないか。早く帰りたい。そう思って少し残っている片づけをやってしまおうと動き始めたところに、ゴールデンウィークの話になっているのが耳に入った。

「ゴールデンウィークはやっぱり練習なの?」
「そうだ。遠征だ」

牛島さんの言うとおりだ、だから遊びに行こうだなんて絶対に言ってくれるなよ。

「そういや、賢二郎の誕生日ってそのあたりじゃなかった?」

なんで太一はいつも余計なことを言うんだ。睨んでも前と同じようにニヤニヤしているだけだ。ほら、みろ!またこの女が目を輝かせているじゃないか!

「そうなの?じゃあ当日は無理だろうからその次の週末にプレゼントじゃないけど勉強教えてあげよっか?」

は? 勉強だと!?
驚いていると、「中間テストも近いだろうし」と彼女は付け加えた。しかし、この女に勉強を教えれるとは到底思えなかった。時間の無駄にはならないだろうか。自分でやった方が早いのではないか。そうだ、そうに違いない。

「いえ、自分で何とか出来ますので」
「あれ?賢二郎、今回物理ヤバいって言ってなかった?」
「太一っ!!」
「あ! 分かった!白布くん、わたしが勉強ちゃんと教えれるか心配なんでしょ?」

その通りである。彼女にしては理解が早いと思った。そう思うなら早く引き下がってくれと思ったが、そのつもりはさらさらないらしい。

「大丈夫! わたし、家庭教師のアルバイトやってるからどーんと任せて!」

初耳だった。外野では「現役女子大生、家庭教師って響きがえっちだねぇ」というガヤが飛び交っている。が、レギュラー入りしてから勉強する時間が取りづらくなってしまったのは事実だった。スポーツ推薦ではない自分は学力も維持しなければならず、なかなか厳しいなと思っていたところだ。家庭教師なら信用できるか。一回だけ、お試しに一回だけお願いしてみようかと悩んでいると「理系だから物理は得意だよ」と後押しされる一言が降ってきた。
背に腹はかえられない。「じゃあ」と頷くと彼女はにっこり笑いながら「次の約束ができたね」と形のいい唇で弧を描いた。それに不覚にも心臓が高鳴ってしまう。

「えー? 賢二郎だけずるい。俺も分からないところだらけなのに」
「太一くんも教えてあげようか? 一人も二人も一緒だよ!」

彼女がそう答えると太一はちらりと自分の方を一瞥してニヤリと笑った。

「邪魔者みたいなんでやめときます」
「邪魔? 邪魔じゃないよ?」

邪魔者ってどういう意味だ? 太一はそのまま自分の方に近寄ってきたかと思うと「何か色々顔に出てるぞ」とこっそり耳打ちしてきた。訳が分からない。この顔だって悩んでいた顔なわけであって、別に二人っきりがいいだなんてこれっぽっちも思っていない。それなのにこの地に足が着いていないような浮遊感は一体なんなんだ。その間に彼女は天童さんに何か耳打ちをされたらしく、俺に近寄ってきて上目遣いで言ったのがこれだ。

「プレゼントにオネーサンとえっちなことする?」
「……は?」

顔がかぁーっと熱くなる。少し想像してしまった自分の頭を呪いたい。
何言ってんだ、この女。天童さんの言うことを従順に聞くにも程がある。天童さんも悪ノリしすぎだ。「賢二郎が珍しい顔してるよ」だなんてここぞとばかりにからかうのはもうやめていただきたい。
段々腹が立ってきて気づけば拳を握っていてわなわな震えていた。背中には何か黒いものを背負っているだろう。効果音をつけるとしたらゴゴゴである。声を出せば自分ではびっくりするくらい低い声が出た。

「……天童さん、覚えといてくださいね。」
「……エッ!?」

次の日、天童さんは部活後に冷蔵庫を開けて、それはそれは悲しんでいたようだった。楽しみにしていた天童さんの大好きなチョコアイスが全てなくなっていたのである。前々からみんなで食べようと買っておいたものだから、何の問題もないだろ?俺が後輩たちに声かけて風呂上がりに全部食べてしまったって。「一個くらい残してくれたっていいじゃん」なんて言われても、昨日の話題をほのめかせば俺が勝つのは目に見えている。





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