(白布賢二郎の場合)

入学式の翌日には部活動紹介が行われる。二年生、三年生は新入生を自分たちの部に引き入れようと、様々な工夫を凝らして紹介していた。まじめに紹介している部もあれば、面白おかしく紹介している部。その中でも男子バレー部は比較的硬派な紹介をする部だったけれど、全国大会常連校ということもあって本気でバレーに取り組む生徒しか入部しないので、部活動紹介をしようがしまいが大して変わりはないだろうと思う。
全ての部の紹介が終わると早速体育館に足を向けた。手にはうっすら汗をかいている。どうやら見知らぬ場所に踏み込むのはさすがに緊張するらしい。体育館内を覗き込むと、すでに推薦組は練習に参加しているようだった。もうすでに差がついていて内心焦る。だけどそれは元々覚悟していたことだ。焦っても仕方がない。そう言い聞かせながら周りを見てみると、自分とおなじ一般入試組だと思われる生徒も何人か見学にきていたので、少しだけ冷静になれた。

「見学に来た子たちはこっちに集まって」

声がした方に顔を向けると、そこにいたのは昨日自分にぶつかった女生徒だった。ふにゃふにゃした笑顔は昨日受付をしていた彼女となんら変わりない。まさかこんなところで再会するなんて思ってもみなかったから、勝手にまぶたが持ち上がって驚いた顔になる。あんなそそっかしい女に、強豪と言われるこのバレー部のマネージャーが務まるとは到底思えなかったのだ。

「部活について説明する。まずは練習メニューについてだが……」

淡々と主将が説明する横で彼女は新入生に目を向け、人さし指を立てて頷きながら持っている資料に何かを書き込んでいた。おそらく人数を確認しているのだろう。その最中にパチリと目が合った。すると、またたく間に彼女の顔が青ざめてゆき、慌てて自分に向かって頭を下げた。それに対してこちらもペコリとお辞儀をしたものの、化け物でも見たかのような振る舞いにムッとする。眉をひそめて彼女を見据えると「ひっ」とちいさく悲鳴をあげて縮こまってしまった。

「……説明については以上だ。今日はこのまま解散してもいいし、練習を見学していってもいい。自由にしてくれ」

主将の説明が終わったので、もう少し練習を見るため場所を移動しようとしていると、彼女が自分の元に駆け寄ってきて目の前に立った。何か用があるのだと思って待っていたけれど、言葉ひとつ発さない。胸のあたりでゆびを触り、視線を泳がせ、自分に声をかけようか悩んでいるようだった。イライラする。言いたいことがあるならさっさと言ってほしい。時間の無駄だ。軽くため息をつくと、大げさにびくりと肩を震わせるので、これではラチがあかないと思い、「何ですか」とこちらから声をかけてやる。すると、やっと俺の顔を見上げ、覚悟を決めたように大きく息を吸い込んだ。「あのね」と話しだした彼女は緊張のせいか声量が調整できておらず、やたらとデカい声で話すので部員たちが何事かとちらちら見てくる。思わず、もっと声量を抑えろと睨みつけてしまうと、彼女はまたちいさく悲鳴を漏らして俯いてしまった。

「白布……くん?昨日はごめんね」
「俺、名前言いましたっけ」
「え……と、昨日一緒にいた男の子、ほらあそこにいる英太……瀬見が白布じゃないかって言ってたから。違った?」
「合ってますけど、もし違ってたらあなたどうするつもりだったんですか」
「え、そ、それは……」

彼女は体を丸め、もともと小柄な体をさらに縮こませてしまった。少しいじめすぎたかもしれない。
瀬見さんなら俺だって知ってる。中学のときからうまいと有名だった。その人がこの学校にいることだって知ってたし、バレー部なんだからこの体育館にいることなんて何も不思議なことではない。それよりも、俺は、彼女が瀬見さんのことを「英太」と呼び捨てにしたことと、緊張していたとはいえ「エータ、セミ」と片言な発音をしたことが気になって気になって仕方がなかった。とりあえず名前を呼び捨てにするくらいならそれなりに親しい関係なのだろう。ひょっとするとつき合っているのかもしれない。もしそうだとしたら、女子マネージャーと部員の恋愛のゴタゴタに巻き込まれることだけはごめんだ。ただ、そこに正セッターの座を奪う隙はあるのかもしれない。
彼女がしどろもどろになっている間にそんなことを考えていると、彼女はまだ俺の前で「あの、その」とわたわたしていた。小さくため息をついて「まだ何かありますか」と聞くと、彼女は突然顔を上げて背すじを伸ばし、俺の目をじっと見た。壁に立ち向かうような強い瞳で少し複雑な気分になる。別にこの人の目の上のたんこぶになる気なんて、さらさらないのに。

「バレー部入るよね? これからよろしくね」

彼女は右手を差し出して握手を求めている。自分とは違う華奢なつくりで、こんなところで男女の差を感じてしまう。そんな体でバレー部を支えていけてるのだろうか、と半信半疑になりながら握手を返そうかどうか悩んでいると、さらにずいっと差し出される。見る限り彼女は真剣だし、意外と頑固そうだ。自分が返すまでこの攻防は続くのだろうと思うと諦めるしかない。

「こちらこそよろしくお願いします」

軽くゆびさきでちょんっと触れると、彼女は少しだけ口元を綻ばせ優しく笑った。びくびくしていない彼女を見たのはこれが初めてのことだった。新しい環境に緊張していた心がゆっくりと解かれているのを感じ、むずがゆい。居心地が悪くなった俺は早々に彼女の横をすり抜け、練習の見学に向かった。



バレー部にマネージャーはさん一人しかいない。部活中の彼女は、意外にもテキパキと仕事をこなしていて正直面食らった。まあ、一年間余分に早く生まれたのだから当たり前だとは思うが、それでも部員数と仕事量を比較すると割には合わない。つまり、そうなると必然的に一年がさんの手伝いをすることになる。その分練習時間が減ってしまうので、そこは自主練で補うしか方法がなかった。このまま受動的に練習し続けたとしたら、なんにも出来ないままあっという間に卒業を迎えてしまうだろう。それだけは嫌だ。今までの自分をねじ曲げて牛島さんにトスを上げるためここへやってきたのだから、スポーツ推薦のやつらに負けてたまるか。俺は負けず嫌いの根性を発揮して、毎日遅くまで残って練習した。
ある日の水曜日もそれは変わらず、いつもどおり自主練で残っていた。ただ、一つだけ変わったことと言えば、いつも練習が終わるとすぐに帰宅しているさんが、その日は遅い時間にも関わらず体育館に顔を覗かせたことだった。サーブの練習をしていた俺は、その人影をさんだと思わなかったので、何の気遣いもなくそちらの方へ思いっきりボールを打ちつけてしまった。あ、まずい、と思ったものの、彼女は「ひえー」と叫び声をあげながら、ひょいとそれを躱したので安心もしたし感心もした。彼女にとってみればいつも部活でやっていることなので、きっと何の問題もなかったのだろう。

「白布くん、まだやってるの?」
さんこそ、こんな時間にどうしたんですか」
「委員会の帰りなんだけど、体育館の電気が点いてたから。オーバーワークになるからそろそろ切り上げてね」
「……そうですね」

まだやりたかったという不満はあるが今日は彼女が正しい。呼吸を整えながら散らかしたボールを拾い集めていると、彼女もせっせとおなじように拾い集めていた。頼んでいないのに、という気持ちもあったけれど、彼女の厚意を無下に出来ない自分もいる。彼女の普段の頑張りを見ていると、そんな冷たい言葉を吐くのも人でなしのように思えてしまう。今まで気づかなかったけれど、どうやら心の奥底の方では、彼女のことを認めているらしい。
外はもう暗い。この時間になると、校内に生徒はほぼおらず、通学路も人の往来はかなり少なくなる。さすがに一人で帰すには抵抗がある。送ってやるしか選択肢はない。だけど、気が乗らない気持ちを代弁するかのように、はあっと勝手にため息が漏れ出る。その瞬間、さんに聞かれたかもしれないとハッとして彼女の方を向いたけれど、彼女は用具室の鍵をジャラジャラ鳴らしながら扉を閉めていて、どうやら聞こえていないようだった。こっそり胸を撫で下ろし、自然体を装ってから彼女に声をかけた。

「遅くなったので送ります」
「えっ、いいよ。今までにもこんなことあったし大丈夫」
「だめです。あぶないです」
「大丈夫!」
「なんかあったら胸くそ悪いんで。一応女ってこと、自覚してください」
「一応って……」

意地悪く笑ってやれば、彼女は眉をハの字に下げ困った顔をしてから、はにかむように笑って自分の申し出を了承してくれた。なぜだか頬がほんのり熱い。そんな事実を誤魔化すように、いつもより強めにタオルで顔を拭った。
自分が着替えている間、さんは体育館の外でじっと空を見上げて待っていた。何が見えているのだろうとおなじように見上げると、東の空に夏の大三角形が昇っていた。まだ梅雨も明けていないのに星のきれいな夜だ。でも、時折腕を撫で上げる風には、水分が多めに含まれていて少し不快だ。

「お待たせしました。帰りましょうか」
「うん、ありがと」

目元を垂らして笑ったさんのせいで、自分の意思に関係なく心臓が跳ねる。部ではいつもにこにこと笑っている彼女は、俺の前では怯えていた。だから、こんな笑顔を俺だけに向けることなんて滅多にない。そう思うと途端に、彼女の隣を歩くのに平常心を見失う。入学式で初めて会ったときはあんなに近かったのに、今は子ども一人分の隙間を空けて歩くのがやっとだった。二人のあいだを通り抜ける風が憎たらしいとさえ思ってしまう理由が分からない。
さんも緊張しているのか、しばし沈黙が訪れた。辺りには虫の鳴き声が響き渡っている。

「白布くんはさ」

さんが突然沈黙を破ったので驚いて見下ろすと、彼女は慌てて自分から視線をそらせた。そんなにビクビクしなくても別に取って食うつもりもないので、普通にしてほしい。でもここでため息なんてついてしまうと、また怯えるだろうから、ついつい出ていってしまいそうになった酸素を意識的にこくりと飲み込んだ。

「涼しい顔してるけど、実はすごく情熱的だよね」
「は?」
「一般入試で入ってでも、うちでバレーしたかったんだなって思って」
「嫌味言ってます?」
「ち、違うよ。なんでだろって純粋に思ったから」

情熱的かどうかは分からないけれど、バレーは真剣にやっている。それを情熱的という言い方をされてしまうと途端に気恥ずかしくなる。ただ、まだベンチにも入っていない一年の自分のことを見てくれてる人がいるということは素直に嬉しかった。だからなのか、自分でも驚くほど饒舌に自分の追い求める理想のバレーについて話をしてしまう。膨らみ続けるバレーへの想いを吐露することで、入部当初から張り続けていた緊張の糸を緩和したかったのかもしれない。
さんは、うんうんと静かに相づちを打ちながら聞いていたけれど、公園にさしかかったところで俺のスポーツバッグを軽く引っ張った。

「あ、ちょっと待ってね」

急に足を止めることになったので、思わず眉間にシワが寄る。さんはそんな俺の表情の変化に気づくことなく公園に入っていってしまった。それからしゃがみこんで草むらで何やらがさがさと触り始めた。

「何やってるんですか」
「シロツメクサの花冠つくろうと思って」

俺も小さい頃に作ったことがあるような気はするが、もうすっかり忘れてしまった。さんの細いゆびさきが遠慮がちにシロツメクサを摘んだかと思うと器用に動いて花冠が編み上げられてゆく。その光景は彼女の纏う雰囲気にぴったりだった。ただ、どうして突然こんなことをしだしたのか理解できずイライラしてくる。その空気を察してか「あと五分だけ」と焦ったように言われため息をついた。

「はい、どうぞ」

ぐっと背伸びをして腕を伸ばしたさんは、ぽすっと俺の頭に花冠をのせた。ちょうどよくおさまって、花の甘い香りが全身をみたす。なんだこの状況、と困惑し、言葉にならない。馬鹿みたいに口を半開きにしてにこにこ笑うさんをぼんやり見つめることしか出来ない。

「約束の花冠だよ」
「約束?」
「わたし、小さい頃は泣き虫で。だから幼馴染がつくってかぶせてくれたの。わたしのことずっと守るよって」
「はあ」

別に泣いてもいないし、守ってもらう理由もないし、彼女の意図がわからない。訝しげに目を細め、さんに話の先を促そうとだんまりを決め込むと、彼女は大切なものを思い出すように空を見上げた。

「シロツメクサに約束って花言葉があってね。だからこれは応援するよって約束の花冠」

それからさんは「白布くんのバレー楽しみにしてる」と俺の目をまっすぐ見て、柔らかく微笑んだ。彼女の一言が俺をその場所に縫い付けてしまったかのように身動きが取れない。中等部から持ち上がってひとかたまりになっている奴らやスポーツ推薦の奴らから少し浮いてアウェイな空気を感じていた俺の心に、その言葉があたたかな灯火のようにじんわりと心に広がる。俺の行く険しい道に降りそそぐ一筋の光のように。





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