「春うらら」という言葉がぴったり当てはまるこの日に白鳥沢学園の卒業式が執り行われようとしていた。玄関ホールでは2年生たちが卒業生の胸に花をつけるために待機している。その中に白布もいた。2年前は逆の立場でリボンをつけてもらっていたのに、今日はその人たちに花をつけるなんて感慨深いなと思う。段々と集まってくる卒業生たちは新しい旅立ちに期待を膨らませた笑顔の中に寂しさも滲ませているような、そんな複雑な顔をしていた。
友人たちと待ち合わせて学校に足を踏み入れたは白布の姿を見つけて尻込みしてしまった。会えて嬉しいし、元気そうでほっとした。でもいざ目の前にすると何を話せばいいか分からなくなってしまう。

、彼氏のとこ並ばないの?」
「うん。また部活の集まりでも会えるし、今は忙しそうだから。」
「ふ〜ん。」

勘のいい友人のことだ。きっと自分の表情や態度で色々察してくれて、敢えて何にも言わないのだ。
花をつけられながら思い出すのは白布と出会ったときのことだった。そこの角を曲がったところで、まるでドラマのような出会い方をした。つきあいだしてからも、何度もここで待ち合わせをした。この学校には思い出が多すぎる。卒業するのが怖い。自分の胸で揺れる花を見つめて溜息を吐くと、友人が手を差し出してくれた。

「行こ。」
「うん。」

いつの間にか花をつけ終わっていたを白布が見つけたのは、あの角を曲がる寸前だった。今、約束をこじつけないとこの後はきっとタイミングがなくなってしまう。部で集まった後の騒がしい空気のあとで話をするのは嫌だったのだ。そう思った白布は隣で同じように花をつけているクラスメイトに一言断りをいれてその背中を追いかけた。小さい背中。つよい人だと思っていたけれど、彼女の背中は頼りなさげだった。

さん!」

振り返った顔は驚いた顔をしていたけれど同時に泣きそうな顔に見えた。久々に見たの顔に自分も胸がつまってしまう。

さん、話したいことがあるので卒業式終わって落ち着いたら第2体育館裏にきてください。」

は肯定の声も否定の声もあげなかったが、微かに頷いたように見え、白布はひとまず胸をなでおろした。


…………


杜のみやこ 真下に押さえ
あおげば 雄々し仙台城
我らの学び舎
ああ栄光の 白鳥沢学園
ああ栄光の 白鳥沢学園


時折鼻をすする音が聞こえる。3年間の高校生活とても有意義だったし、毎日会っていた友人たちと離ればなれになるのは寂しかった。けれど、は泣けなかった。コートの上で何回も聞いたこの校歌もこれが最後だというのに。卒業する心の準備ができていないからだろうか。
自分が退場するまでの時間ずっと考えているのは、白布との関係のことだった。卒業してどういうふうに変わっていくのか想像できなかった。話したいことって何だろう。もう愛想つかされてしまったんだろうか。悪いイメージが映し出されようとするので必死で停止ボタンを押していた。
そうしているうちにいつの間にか退場する順番が回ってきていて、は泣いてもいない笑ってもいない、ただひたすら唇を噛み締めた表情で卒業式を終えることになってしまった。


高校最後のホームルームが行われている間に、在校生たちは卒業式の後片づけをしていた。そしてこのあとお昼を挟んでから、大体の部が送別会を行う予定になっている。
白布は走っていた。予約していた花束を取りに。片づけはクラスメイトに頼んでこっそり抜け出してきた。もしバレても常に品行方正な自分だから教師も多少目をつぶってくれるだろう。部の集まりまでには話を終わらせたいし、早くしないとホームルームが終わってしまう。

ホームルームを終えた直後のは、友人たちと写真を撮ったり色紙を埋めたりとせわしなかったが、それが一通り済むと皆散り散り部の方へ向かった。は意外とみんな淡白なんだなあと物寂しい気分になった。多分早いんだろうけど、と思いながら約束していた第2体育館の裏に来てみたがやっぱりまだいなかった。第2体育館は卒業式が行われていた体育館とは違って少し小さく古めかしい建物だった。空気の入れ替えでもしているのだろうか。開け放たれた扉から中を覗き込めば、がらんとしていて心細い気持ちがさらに増幅してしまった。早く来て欲しい、早く腕を掴んでここから引き上げて。言いようのない不安感がをそこにしゃがみ込ませた。

さん、早かったですね。」

どれくらいそうしていたか分からないが、息を切らした白布の声がの鼓膜を震わせた。

「…うん。なんか呆気なくおわっちゃった。」

そう、驚くほどに呆気なく。2人の関係もそんなふうに終わっちゃうのかな、なんて思い、立てずにいるの横に白布も腰を下ろした。

「卒業おめでとうございます。」

その言葉と一緒に差し出されたのは花束だった。誕生日に花が欲しいとかイベントの度にねだっても「そんな恥ずかしいことできないから」と常々言っていた白布が、今日の自分のためにまさか花束を用意してくれるなんて思いもしなかった。赤、ピンク、黄色、オレンジ、色とりどりのガーベラ。見ているだけで涙腺を溶かしてしまうような鮮やかな花束。ずっとずっと涙の気配なんてなかったのに、は涙が盛り上がっていくのを感じた。

「ありがとう。」
「あと、合格おめでとうございます。」

そう言った白布の顔は柔らかく微笑んでいて、の心は罪悪感で埋め尽くされた。自分じゃない誰かから合格したと聞いて一体どんな気分だったんだろう。そんなふうに優しく笑わないで。だって、わたし、きっとあなたを傷つけた。その顔を見るとついに表面張力に耐えきれなかった涙たちがはらはらとの頰を濡らした。

「……連絡っ…できなくって…ごめん…」
「はい。」
「怖くって…っ…」
「はい。」

目のふちを流れる涙を白布は掬い取るように拭う。一粒一粒、丁寧に。まるでがんじがらめになってしまった感情をほどいていくような手つきで。

「けんじろうと…もうここで…っ…過ごせないと思うと…卒業するのが…っ…怖くって…」
「はい。」
「会いたくないって言われたのもつらくって……わたしばっかり会いたいのかと思って……でも、言えなくて…」
「迷惑かけたくないから…、ですか?」

しゃくり上げてしまい、うまく喋れないは必死にこくこくと頷いた。

さん、俺たちこれからそういうこともっと言っていきませんか?」

そういうこと?よく分からなくて首を傾げていたに白布は申し訳なさそうな笑顔を向けた。

「もう知ってると思いますけど、俺、余裕がないときは冷たい態度とっちゃうんですよね。でも、それ別に好きじゃないとかじゃなくて。会いたくないって言ったのも傷つけたくなかっただけなんです。」

白布の紡ぎだす言葉は優しくて、罪悪感で埋め尽くされた心が少しずつ滲んで薄くなっていくから不思議だ。ぽろぽろと流れていく涙ですら純粋で透明に見えてくる。

「言葉足らずでしたよね、すみません。だからこれからは思ってることはちゃんと口にして2人のことは2人で解決しませんか?さんがそんなふうに思ってるのも分からなかったですし。」

は白布が「これから」の話をしてくれたことが嬉しかった。白布の「これから」にはきちんと自分が存在している、そのことが見失っていた自分を取り戻すきっかけになった。

「これからも一緒にいていいの?」
「当たり前じゃないですか。」

花束をぎゅっと抱きしめたの手を白布はぎゅっと握った。そこからじんわり伝わる熱は今まで離れていた分とても熱く感じた。

「この花束つくってもらうときに、花がいっぱいありすぎて迷ったんですけど、これ”前進”っていう意味があるらしいですよ。」

は花束と白布を交互に見ながら、言いあぐねてる次の言葉を催促した。すると白布はバツの悪そうな顔で「女々しいかもしれないですけど」と続けた。

「俺も、置いていかないでほしいって思いました。でも、すぐに追いつきますから。さんが辛いときとか寂しいとき振り返れば俺が後ろにいますから、だから安心して卒業してください。」

には流れ出る大粒の涙をとどめる術がなかった。手を伸ばして掴んでくれた上に、背中まで押してくれ、さらに逃げ場所まで与えてくれる。そんな白布に、どうしてこんなありきたりな言葉しか出てこないんだろうと自分のボキャブラリーのなさを呪った。でも、それでも言わせて。

「うん…ありがとう。けんじろう大好き。ほんとに、大好き。」

その言葉を聞いて安心した顔をした白布は大げさに溜息をついて自分の前髪をくしゃりと握った。

「はぁーーー。何か格好つけて色々言ったけど、内心別れるって言われたらどうしようと思って心臓バクバクだった。」

は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに破顔した。だって、ずっと真剣な顔して話していたのに急に年相応のあどけない表情になるから、すごく可愛くて、かわいくて、愛しい。

「やっと笑ってくれた。いつも泣かせてばっかりでごめん。」

ふるふると首を振るの頰を撫でて耳たぶをなぞり後頭部を捕まえると白布は不敵な笑みを浮かべた。

「でも、泣かせてるのが俺だけだって思うとなんか興奮する。」

そう言って荒っぽいキスをしたくせに、唇が離れたときはまるで慈しむかのようにを見ていた。を長い冬からようやく目覚めさせたのはそんな春一番のようなキスだった。







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