春は出会いの季節だとはいうけれど、この出会いは俺にとって果たして吉と出るのだろうか凶と出るのだろうか。かれこれ5分ほど目の前の光景を見つめている。いや、しかしこれは絶対に後者だろう。明らかに酔っ払いだ。ただ、何もしないのは良心の呵責を感じてしまうので、一応声をかけておこうと思いその女性に少しずつ近づいていく。

「あの、大丈夫ですか?」

電柱に向かってしゃがみ込むその人を覗き込めば、ゆったりとした動作で顔を上げた。アルコールが入っているせいか少し潤んだビー玉のような瞳、赤みが差した頬に唇、とてもきれいで色っぽいと高校生ながらに思ってしまった。



とても澄んだ声が聞こえてきたため、気分がマシになったと思う自分はとてもゲンキンな女だと自覚している。ゆっくりと顔を上げて声がした方を向いてみれば、驚きと興奮で目だけでなく鼻の穴までもがまんまると広がった。そして思う、棚からぼた餅と。
さて、ここでさっきまで出ていた飲み会を思い返そうか。
無事にみんなで大学2回生に進級できたということで進級祝いの飲み会が学部内で行われていた。とは言っても進級祝いとは名ばかりでただ単にみんな盛大にばか騒ぎしたかっただけなのだ。某理系学部のわたしのまわりはほぼ男である。ちらほら女の子はいるものの4分の1くらいにすぎない。
最近わたしは20歳になった。お酒はまだ飲み慣れていない。だからカクテルをチビチビ飲んでいたのに「そんなもん飲んでんじゃねーよ」と奪い取られ代わりに飲まされるのは、ビール、ビール、たまに焼酎! それなのに「そんな可愛げのないもん飲むから、には彼氏ができない」と言われ、「いや、自分らが飲ますんでしょーが!」とムキになってお酒に強いわけでもないのにグビグビ飲んだ。さらに、締めにラーメンを食べに無理やり連れていかれ「おまえ、見た目いいのにそんなもん食べるから彼氏ができない」とか言われ、「いや、わたしにだって出会いさえあれば彼氏くらいできるし。てか食べさせてんの自分らだから」という会話がおよそ30分前に繰り広げられ、そして今に至る。
目の前の彼は、いわゆるイケメンである。王子様である。高校生みたいだけど、大して歳は離れていないので全然許容範囲内である。この幸運を生かさないことがあり得るだろうか。いや、ない!

「……あ、ちょっと飲みすぎて、」
「立てますか?」

見ず知らずの他人に手を差し伸べてくれるなんて、なんて心優しい少年か。すべすべのきれいな長い指、遠慮なく触らせていただきます。

「ありがとうございます」
「家、どこですか?」
「……ここです」



彼女が指差していたのは目の前のアパートだった。家の目の前まで来ているのに、こんなところでしゃがみ込んでいるなんてよっぽど気持ち悪いのだろう。このまま置き去りにして何か事件にでも巻き込まれると後味悪い。しょうがない、玄関前まで連れていってやろう。そう思ったのが俺の運の尽きだったようだ。

「じゃあ行きますよ」

手を引くと彼女はぴたりと動きを止めた。怪訝に思って近くに寄ればTシャツの裾を引っ張られ、「吐く」と呟いた。
ちょっと待てちょっと待て、ここにはやめろ!
と、思って急いで引きはがしたのにすんでのところで間に合わなかった。最悪だ。本当に最悪だ。



やばい、やってしまった……。恐る恐る顔をあげるとイケメン君の表情は無である。表情が無いというのは一番恐ろしい。サァーっと血の気が引いて酔いが覚めた。

「す、すみません。あの、洗濯するので……」
「とりあえず、歩いて」

腕を掴まれ、引きずるように歩いていくので、履いているパンプスが脱げそうになる。お、王子様、ちょっと乱暴ではないでしょうか。

「部屋どこ?」
「302号室です」

最低限の会話だけなされて、あとはただひたすら引きずられる。部屋の前に着いて、どうしたもんかと考え、乱暴な王子様を見上げた。すると、彼は王子様という名前に似つかわしくない般若のような顔をしていたのだ。

「早く鍵開けろよ」
「は、はい!」

ガチャガチャと鍵を回す手が震える。こわい、こわいよー。自分が粗相をしてしまったとはいえ、この状況はなかなかに危ないのではないのか。いや、しかし汚してしまったTシャツはどうにかしてあげないとあのまま帰すわけにはいかない。

「ど、どうぞ?」
「玄関だけ貸して」

そう言ってイケメン君は玄関にスポーツバッグを放り投げると、羽織ってたジャージを脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、最後には上半身裸になった。

「ギャー!」
「うるさい。着替えるだけだから」

男の人の裸なんて見たことないんだから驚いて思わず叫び声をあげてしまうのは仕方ないと思うんだ。しかし、思わぬところで王子様の上半身裸を拝めてある意味ごちそうさまである。
イケメン王子様君はスポーツバッグを開けてがさごそと新しいTシャツを探し出し、ふうと息を吐き出した。あたかも、予備を持っていてよかったと安心しているような素振りだ。
わたしはそんなイケメン君の生着替えをじっくり堪能しながら、とりあえず脱ぎ捨てられた汚れたTシャツを拾う。さて、どうしたらいいのだろう。洗って返してあげた方がいいよね? でも返しに行く方法を酔っ払いの頭で思いつくことができない。
悩んでいる振りをしてみても(実際悩んでいたけれど)、ニヤついている口元は誤魔化しきれなかったらしい。生着替えを終えたイケメン君は、これでもかというくらい眉間にシワを刻んでわたしを睨みつけていた。そして、どうやら悪寒まで感じてしまったらしい。ぶるぶると小刻みに震えている。

「それ、捨てといてもらっていいですから」
「へ!?」
「戸締まりはちゃんとしてくださいね。では、失礼します」

わたしの返事を待たずして、スポーツバッグを手に取り、ジャージを翻しながら出て行ってしまった。慌てて玄関扉を開け、階段の方へ向かう後ろ姿をただただぽかんと口を開けて見ることしかできない。
白鳥沢学園……ってジャージに書いてた。白布……ってスポーツバッグに書いてた。
わたし、ぼた餅を逃す気はさらさらありません。




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