次の日の夕方、わたしは菓子折りとキレイに洗ったTシャツを持って白鳥沢学園の前に来ていた。自分が通っていた高校とは規模が違いすぎて唖然とする。果たしてこの広い敷地内から昨日の彼を見つけ出すことができるのだろうか。そもそも部外者が入ってもいいのだろうか。
下校する生徒たちがいる中、私服姿のわたしが校門に立っているのは目立つようだ。視線が突き刺さり居心地が悪い。だ、誰かに声をかけた方が……とウロウロしている姿はまるで不審者だ。

「何をしている」

声をかけるよりも先に声をかけられてしまった。
振り向けば周りを畏怖させるような雰囲気を纏った鋭い目をした大きな男の人が立っていた。先生だろうか。圧倒されて怖いけれど、せめてもの救いは昨日の彼と同じジャージを着ていることだ。

「そ、その!」
「なんだ?」
「そのジャージを着た人を探してて。名前は、多分しらぶって人だと思うんですけど」
「白布に何の用だ」
「昨日、いろいろ助けてもらったのでお礼がしたくて」

射抜かれるような目で見下ろされ、取って食われるんじゃないかと思った。だけど、菓子折りの入った紙袋をちらりと見せると、軽く頷き「こっちだ」と案内してくれた。
連れてこられたのは体育館だった。扉の外からバレーのネットが張られているのをぼーっと見る。どうやらまだ部活は始まっていないようだ。威圧感たっぷりの先生が自分みたいなのを連れているからか好奇の目を向けられているのが分かる。

「若利くん、そのキレーなオネーサンは誰?」

わ、か、と、し、く、ん?扉から顔を覗かせた赤い髪の男の子は自分の隣にいる人物のことをくん付けで呼んだではないか。

「え、先生じゃないの?」
「俺は生徒だ」

赤い髪の男の子は「ブッフォ」と噴き出している。いや、だってまさかこの威圧感、自分より年下とは思わないだろう。

「で、どうしたの?」

赤い髪の男の子は何とか笑いを堪えながら、答えを求めている。しかし、答えを求めているのはこの男の子だけではない。いまや、体育館中が聞き耳をたてていた。その中で昨日の後ろ姿を見つけ、ついつい大きな声を出してしまった。

「あ! いた!」

イケメン君は分かりやすく肩を跳ねさせたもののこちらを向いてはくれない。絶対気づいてるのに。躍起になって若利くんの腕を掴み、揺すりながらイケメン君を指差す。

「あの人! あの人!」
「どの人? どの人?」

揺すられながらも微動だにしない若利くんに代わって返事をしてくれたのは赤い髪の人で、額に手を当ててキョロキョロしている。なんか、かわいい。

「白布。礼がしたいらしい」

若利くんの声で皆の動きが一瞬とまり、イケメンの白布くんはギギギと音がなりそうな動きでこちらを振り向いた。昨日みたいに眉間には深くしわが刻まれているが、大きな溜息をつきながらこちらへ駆け寄ってきてくれる。どうやら若利くんの言葉は絶対らしい。

「なんですか?」
「えーっと、昨日のお礼とお詫びの菓子折りです」

白布くんに紙袋を差し出すと「はあ、どうも」と受け取ってくれたが、問題はこれからだ。どうにかこうにか次の約束をこぎつけないと……そして連絡先を聞かなくちゃ!

「一応、Tシャツも洗って持ってきたんだけど……」



おずおずとTシャツを差し出す女を見ながら顔をしかめる。
こうやって押しかけてもらいたくなかったから捨てて欲しかったわけであって、押しかけられた以上は受け取らない理由はなかった。勿論きちんと洗えていることが大前提だが。

「……ありがとうございます」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」

「それで、あの、」と続ける彼女を見て、まだ何かあるのかよと内心イラついた。いまだに体育館の中の奴らは聞き耳をたてている。

「お詫びに一緒に新しいTシャツを買いに行きませんか」
「……は?」

開いた口が塞がらないとはこのことをいうのだろう。なんで迷惑かけられた俺が一緒に行かなくちゃいけないんだ。後ろでは「白布がデートに誘われた」だとか「抜けがけずるい」だとかいう声が聞こえてくる。違う、そういうんじゃないんだ。それに、断る術はたくさんある。慌てるな。

「いや、俺土日部活あるんで無理です」
「あれ、確か来週土曜日オフだったなー」
「太一!? 余計なこと言うなよ!」

ひょっこり扉から顔を覗かせた太一を睨みつけたが、面白いことになりそうだというような顔をしてニヤニヤ笑っている。

「あっ、じゃあ来週の土曜日にでも」

ほら、太一がそんなこというからこの女がこんなこと言い出したじゃないか。いや、でもまだ断る術はある。落ち着け。

「いや、自主練するんで」
「オフの日は自主練は禁止だが」

牛島さん空気読んでください。なんでそこで真面目に答えるんですか。

「はい、決定ー! 来週土曜日ね!」

何故天童さんが決めるんだ。女を見下ろすと目を輝かせながら「じゃあ連絡先を」と言っている。待てよ、俺は今携帯を持っていないから連絡先は交換できないじゃないか。よし、これで回避できる。

「俺、今携帯持ってないんで、交換できないです」

そう言えば、彼女はしょぼくれた犬のような表情をしながら俯いてしまった。悪いけどもう面倒ごとには巻き込まれたくないんだ。

「大丈夫。オネーサンが連絡先書いてくれれば、あとで俺が責任持って賢二郎にメールさせるよん」

女は神を見るかのように天童さんを見ながら「あなたのお名前を教えてください。わたしはです」と言っている。いや、なんで天童さんに名前聞いてるんだ。俺目当てにここへ来たなら、俺の名前を俺に聞け。「天童覚だよ。覚でいいよ」って天童さんも普通に答えないで。
女はがさがさ手帳を取り出して、さらさらと文字を書いていく。それをビリっと破るとこちらに差し出した。

です。連絡待ってます」
「はぁ」

周りからの視線が痛いので、きちんと受け取りポケットにしまい込む。ここでぐしゃぐしゃに握りつぶしたりしたら他の奴らからプロレス技をかけられるだろう。

「若利くん、覚くん、ありがとう。あ、太一くんも!またね!」

と名乗った女は、ひらひらと手を振り嵐のように去っていた。またって言ったけど、また来るつもりなのだろうか。ああ、部活が終わるのが怖い。



「さあ、賢二郎。メールしようか」

着替え終わった途端にこれだ。しかし、後ろから壁ドンはやめていただきたい。

「分かりました。天童さん、とりあえず離れてください」

今日何度目の溜息だろうか。もう自分の幸せはすべて逃げてしまったに違いない。だからこんな状況になってしまったのだろう。
ポケットから連絡先の書かれた紙を取り出して眺め、また溜息をつく。さらさらと書いていたのでもっと乱雑な文字だと思ったのに、とても丁寧な文字が並んでいた。少し意外だ。
「白布です」と送るとすぐに既読がつき「連絡ありがとう。部活お疲れさま」と女子にしては簡素な返事がきた。それを確認した天童さんは事の真相を聞き出そうと身を乗り出してくる。そしてまた皆が聞き耳をたてている。

「で、あのオネーサンと何があったの?」
「何がって、酔っ払ってたあの人を介抱してたら吐かれたんですよ」

大きい目をさらに大きく見開いた天童さんは口ではご愁傷さまと言ってるものの完全に楽しんでいる顔をしている。

「でもきれいな人でラッキーだったな」
「ラッキーなわけあるか。吐いたくせにニヤけてた変な女だぞ」

きれいだとは思ったけど、そんなの一瞬で上書きされるくらい衝撃的だった。というか元はと言えばこいつ、太一のせいで一緒に出かけるはめになったのだ。睨んでも「恋が生まれるかも」とか言いながら完全に他人事だ。

「来週が楽しみだネ」

他人の不幸は蜜の味ってやつですか。俺は気が重くて全然楽しみじゃないですけどね。はあ。もう溜息を吐きすぎて幸せが逃げるどころか不幸を呼んでいる気がする。来週の土曜日は一体どんな不幸が待ち受けているのだろうか。





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