白布くん達のインターハイ県予選が終わって数日が経つ。最近じっとりとしたすっきりしない天気が続いているなと思っていたら、どうやら昨日梅雨入りしたらしい。けれども、今日は昨日までの天気とは打って変わって真っ青な空が広がっている。
早速梅雨の中休みだというのだろうか。でも、晴れてるからといってカラッとしてるわけじゃない。窓を開けても昨日降った雨が蒸発しているせいか、湿気を含んだぬるい風しか部屋に入ってこないのだ。
ああ、梅雨は嫌いだ。ずっと部屋に籠っていると自分にもカビが生えてきそうになって気分が滅入る。
折角晴れているんだから外に出なきゃ勿体無い。今日は白布くんがうちでご飯を食べる日なので、買い出しにでも出かけよう。
玄関の扉を開ければ、じとりとした風が腕を撫でる。スーパーへ歩を進めながら、今日、雨が降らなくて本当に良かったと思う。勉強するとはいっても、さすがにわざわざ雨の中来てもらうのは気が引けるなと思っていたところだった。白布くん程の頭があれば、わたしが一日くらい勉強を教えなくたってどうとでもなるのだから。
何を作ろうかなと店内の中を歩きながら色々物色していると、白布くんはしらすが好きだと言っていたことを思い出した。全国大会出場が決定したのだ。好きなものでも食べてもらって、ささやかだけどお祝いしたい。そんなことを考えながらしらすパックを手に取ると、バレーをしている彼の姿が脳内で勝手に再生を始めてしまった。というか、すでにその姿がまぶたの裏に焼きついているのかもしれない。何もしていないときなんて、延々とリピートされ続けているのだから。
バレーのことは詳しくない。けど、何となく白布くんらしい凛としたバレーだと思った。静かに秘めている闘志が瑠璃のような青で、とても綺麗だった。
試合後に会った白布くんは決勝戦をプレッシャーに感じていたみたいだった。だけど、わたしには彼なら大丈夫だと思えた。だって、あんなふうに冷静にプレーが出来る人は、揺るぎない信念があるのだと思っていたから。
だから、白布くんが緊張していたことに正直とても驚いた。と同時に、それすらも愛おしかった。気分の落ちていた白布くんには悪いけど、完璧そうに見えてそうじゃないところがいい。元気づけたくて触れた彼の手は緊張のせいかひんやりと冷たかった。その手を温めてあげたいという衝動に駆られて、するすると彼の手を撫でたけど、後々になってかなり大胆だったと反省した。
白布くんが太一くんにした反応も頷ける。わたしだってさすがに恥ずかしくなって二人と別れたあと赤面した。彼に分け与えたはずのわたしの熱は家に帰っても一向に下がらなかったのだ。





雨が窓を叩いている音に気づいたのは、晩ご飯の支度が済んで一息ついたところだった。時計を見ればいつも白布くんがインターホンを鳴らす時間に近づいていて少し心配になる。
つい先程までは西に傾きつつある太陽が部屋を照らして明るかったはずなのに、今は電気をつけないといけないくらい暗くなってしまっていた。窓を閉めていても聞こえてくるザアザアと勢いを増す音に、どんだけ降ってるのだろうと外を見れば夏のゲリラ豪雨のような雨が降っていた。まだ梅雨も明けていないのに。
白布くん大丈夫かな。そう思っていたところにインターホンが鳴ったので、慌てて玄関に駆けていきドアを開けると、びしょ濡れになった白布くんが顔を歪めて立っていた。

「わっ!」
「すみません。降られてしまいました」
「ちょっと待ってて! タオル持ってくるから!」

どうやら傘は持ってきてないらしかった。それもそうだ。あんなに晴れていたのだ。バスタオルを持って再び玄関に戻れば、白布くんはTシャツの裾を絞っていた。服は上下ともびしょ濡れだ。このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。着替えるのが一番だけどあいにくこの家に男物の上下の服は揃ってなくて。

「……シャワー浴びる?」
「え?」

白布くんはあからさまに不審者を見るように人を疑うような顔をしてこちらを見ている。
疑うって何を疑ってるの。確かに初めて会ったときは上半身裸に興奮したけども。確かに今も水も滴るいい男だなと思ったけども。今日はそれ以外何もやましいことなんて考えていないよ。失礼だな。

「違うよ! 服、とりあえず乾かさないといけないし、着替え買ってくるから、その間お風呂入ってて!」

背伸びしながらバスタオルを頭から被せてわしゃわしゃと髪の毛を拭いてあげると、彼は「うわっ」と素っ頓狂な声を出しただけで、それ以外はされるがままだった。拍子抜けだ。怒られると思った。やめろって言われると思った。

「……お願いしてもいいですか」

声がいつもと違って弱々しいような気がして、タオルの隙間から覗く顔を見ると少し照れたように視線を外されたので胸がきゅうっとなった。
何これ、可愛いんですけど。
とりあえず滴っていた水を拭き取って浴室へ案内する。替えの服を買って帰ってくる間体が冷えないように浴槽にお湯を張り始めると「そこまでしなくても」と言われたけど、無理やり脱衣所に押し込んだ。

「風邪引くといけないから」
「はぁ」
「バスタオルここ置いとくね。あと洗濯乾燥機の使い方分かる?」
「大丈夫だと思います」
「じゃあ買いに行ってくるね」

無表情なところは相変わらずだけど、「はい」と顔を反らしながら返事した声には少し申し訳なさが含まれていて、勝手に笑みがこぼれてしまった。きっといつも無表情だからこそ、ほんの少しの変化に嬉しくなってしまうんだろう。
外に出れば雨がアスファルトから跳ねて服の裾が濡れるくらい強い雨が降っていた。これだけ降っていれば、びしょ濡れになっても仕方ない。何とか雨を傘で遮りながらいつも買い出しに行くスーパーに辿り着くと、衣類品コーナーに足を向けTシャツとハーフパンツを手に取る。そういえば、下着も買った方がいいのだろうか……。男物の下着なんて買ったことないから気まずいけど、あれだけ濡れていたら、下もそりゃあ……。
思わず下着姿の白布くんを想像してしまい、顔から湯気が出そうになる。動揺を隠すように素早く下着コーナーに移動し、適当に下着を選んでレジに向かい、そそくさとスーパーを後にした。
何だか彼女にでもなった気分。こんなふうに白布くんの着替えを買いに行くなんて。彼には申し訳ないけど、雨が降ってウキウキしてしまうなんて初めてだ。下着買うのは恥ずかしかったけど。





今日は久々に太陽の光を浴びたような気がするが、湿度が高いせいで体育館の中はベタついていた。なので、例年よりも早く体育館の空調をつけることになった。湿度が高いとボールを触る感覚がまた違ってくる。なるべく公式戦のときの空気に近づけることができるのがさすが私立というところだろう。
そう、日中こんなふうに晴れていたために、天気予報を確認することをすっかり忘れていたのだ。
寮を出る頃もまだ青空が広がっていた。だけど、これだけの雨が降るということはそれなりに分かりやすい雨雲が近くにあったに違いない。周りを確認できないほど、自分は浮かれていたとでもいうのか。俺としたことが、本来の自分からかけ離れた行動をしてしまうなんて。これだから、彼女が関わると厄介なのだ。
湯船に体を浸けながら、そんなことをぼんやり考えていると、浴室内に広がるシャンプーだかボディーソープだかの香りが鼻腔をくすぐる。それが、たまに彼女からふんわり香るものと同じだから、余計に自分を見失いそうになる。心の中にざわめいている本能的なものを抑え込むために違うことを考えようとするもなかなか上手いこといかない。
最悪だ。何で俺は他人の家で風呂なんか入ってるんだ。こんな気分になってまで。早く風呂から出て、うんざりしながら彼女のペースに巻き込まれたい。いつもの週末を過ごしたい。本当にらしくない。
自分に嫌気がさしながら天井を仰ぎ見ていると、玄関の扉の開く音がしたのでほっと胸を撫で下ろした。

「お待たせ。着替え置いとくから好きなときに出てね」
「ありがとうございます」

彼女が脱衣所のドアを閉めるのを確認してから湯船から上がり、買ってきてくれた着替えを確認する。一番上に置かれたTシャツをちらっとめくってみると下着まで置いてあったのでぎょっとした。まあ確かに下着も濡れていて気持ち悪かったから丁度いいけれども。
一体どんな顔してこれを買ったんだ。わくわくしながら買ったのか。変わっている彼女ならありえる。照れながら買ったのか。いや、あまり照れることのない彼女だ。可能性は低いだろう。
最近照れているのを見たのは火傷したときに手を洗ってやったときくらいだ。あの顔をまた見たい。どうにかして、彼女を自分の思い通りにしたい。立場を逆転したい。そんなことを思うようになったのがいつからかなんて全く覚えていない。
着替えを済ませて部屋に行くと、雑誌を読んでいたさんが顔を上げた。雨のせいか髪の毛が少し湿っている。

「風呂、ありがとうございます」
「ううん、全然いいよ! 服、サイズ大丈夫だった?」
「はい、まあ」

とりあえず自分の大きさならMサイズであれば大体入る。それよりもさんの濡れた髪の方が気になる。俺のことばかり気にして彼女が風邪を引いても困るのだ。だって借りは作りたくないだろ。

「あの、さん、髪、」
「ああっ! ごめん! ドライヤー出すね!」

確かに俺の髪も濡れているが、そういうつもりで言ったんじゃない。最後まで聞いてほしい。本当にそそっかしい人だ。
パタパタと自分の横を通り抜けて脱衣所に入ってドライヤーを取り出した彼女は、コンセントを差し込みこちらに手渡した。
「はい、どうぞ」と、にこにこ見上げてくる彼女は肩も少し濡れていて、自分のためにここまでしてくれたのかと思うと何だか変な気持ちになる。彼女の華奢な体を引き寄せて自分の中に閉じ込めてしまいたくなってしまうのだ。何故かなんて考えたくない。絶対自分に不都合な感情だから。その気持ちを誤魔化したくて受け取ったドライヤーを彼女に向け、温風をあててやると、「ぶわっ」と変な声を出しながら目をつぶった。

さんも髪濡れてますから」

そう言いながら彼女の髪の毛を押さえつけるように梳いてやると彼女は俯いてしまった。我ながら大胆なことをしているという自覚はあったが、それもこれも彼女に感化されてしまっているのかもしれない。けれど、時折のぞく彼女の耳たぶが赤く染まっているのが目に入り俺は満足してほくそ笑んだ。そのときに自分から彼女に触れたときに、彼女はこんなふうに照れるのでは、と気づいたのだった。





勉強しようと教科書類を取り出してみたもののすっかり濡れてしまっていてやる気が削がれた。
くそ。鞄は自分の体で守ったつもりだったのに。
はぁーっと溜息をついた自分に、彼女は「今日はやめとく?」と心配そうに口を開いた。確かに、こうなってしまった教科書は、しばらく放置して乾かしておく方がいいだろう。勉強だってたった一日しないくらいで成績が落ちたりもしないだろうし。だからといって服が乾くまでどうすればいいのだろうか。
考え込んでいたら、腰を上げた彼女がガサガサと袋からDVDを取り出して「これ、見ませんか」と恐る恐るといった風に俺に差し出してきた。

「それ、何ですか?」
「映画、レンタルしてきたんだけど、ホラー映画だけは一人暮らしが一人で見るのはキツイでしょ?」

ホラー映画なのか。じゃあ何で借りてきたんだ。まあどうせ興味本位だと言われてしまうのがオチだろうけど。

「や、ダメなら他の人誘うからいいんだけど……」

彼女は、しかめっ面で悩んでいる俺にそう言うと、DVDを袋に戻そうとした。そんな様子を見ながら、初めてのデートで映画を見たときのことを思い返した。あのとき、アクション映画だというのに彼女は驚いたときに俺の手を掴んでいた。ホラー映画だと一体どうなるんだ。

「……その他の人って、男ですか?」
「え? 分かんないけど……そのときつかまった人と一緒に見るよ」

ちょっと待て。男の可能性もあるってことだろ。散々気をつけろと言ったところで彼女は何も分かっちゃいない。ホラー映画見てくっついてそのまま流れで、なんてよく聞く話だろ。無防備な彼女が心配だ。ああ、そうだ、心配しているだけだ。俺なら何もしない自信はある。だから。

「いいですよ、見ましょう」
「えっ? いいの?」
「早くしないと気が変わりますよ」

急かすように言えば彼女は慌ててプレーヤーを起動して準備し始めた。自分だって別にホラー映画が得意なわけじゃない。でも彼女が他の男の前で無防備な姿を晒すよりマシだ。
準備ができた彼女が「隣いいですか」とおずおずと聞いてくるのが、また俺の心をざわつかせる。あーくそ。折角落ち着いたと思ったのに。でも、少しくらい触れたって別に構いやしないだろ。ホラー映画なんだから。
そう自分に言い聞かせながら彼女に手を差し伸べれば、きょとんとした顔で見つめてくる。驚かされるのは映画だけでいい。彼女に驚かされないように捕まえておくだけだ。

「手握ってあげてもいいですよ」

彼女はぼっと音を鳴らすように赤面し、しどろもどろになりながら「おいしいポップコーンがあるの!」と言ってキッチンに向かった。自らは躊躇なく俺に触れるというのに。おもしろい。
握られることのなかった手を見つめ、彼女の反応を思い返す。自分の行動でこうまで反応してくれると気分がいい。ましてやいつも翻弄される方なのだ。
パタパタとポップコーンを開けながら戻ってきた彼女は足元に転がったDVDのケースに気づいていないようだった。あっと思ったときにはもう既に遅くてポップコーンが宙を舞い、彼女の体は俺の体の上に倒れこんできた。

「いたた……ごめん、わたし、ほんと鈍臭いみたいで」

顔を上げた彼女と至近距離で目が合う。触れ合った体から伝わる脈はどちらのものなのか分からなくて、少し顔を動かせばキスできそうな距離だった。
何なんだ、これ。おい、顔を赤らめるな、我慢出来なくなる。
しかしどうにか理性を働かせ、彼女の腰にまわりそうになった己の手を、こぼれ落ちているポップコーンに伸ばし、おもむろに彼女の口に放り込む。「うぇっ」と色気のない声が出たので何とかふくれ上がる欲を抑え込むことができた。

「重いんで早くどいてください」
「もうっ! 女の子にそんなこと言わないで!」

すっとどいた彼女は俺に背中を向け、落ちてしまったポップコーンを拾い集めている。その耳はまだ赤くて、動揺しているのが自分だけじゃないと何故だか安心した。

結局その日は手を握りながら映画を見ることはなかったけど、彼女は驚けば俺の腕を掴んでくることに変わりはなかった。以前と違ったのは腕を掴んだあと自分と目が合うと恥ずかしそうに画面に視線を戻すことだった。それには気分がよくなった。
その上、俺の好きなしらすを使った料理を食べさせてもらって、雨に降られてしまったときは最悪だと思ったが、終わってみればなかなか満足した一日だった。
次会ったときはどんなふうにからかってやろうか。そんなことを楽しみにしながらまた一週間経つのを待つ俺は、思っている以上に彼女のことが気に入っているようだった。







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