地元と言えどもそんなに田舎ではないと自分自身では思っている。都市部に存在する白鳥沢学園の周りより田園地帯が広がっているが主要幹線道路も通っているし、車で少し行けば大きなスーパーだってある。確かに車があった方が便利な地域ではあるが、自転車で移動するにも高校生の俺には申し分ない。
自転車を漕いでいるときにすり抜ける風は青々としている。この時期、稲は花を咲かせ淡い緑に色づきを変える。田んぼの近くを通れば、アスファルトに覆われた道よりも断然涼しい。いつも帰省する年末年始は雪に覆われているので、この時期の地元の景色を見るのは随分と久しぶりだ。懐かしい景色に懐かしい仲間。この辺りで一番大きく新しいファミレスに同級生と集まると、寮を出る前に核心を突かれたことなんてすっかり頭の片隅に追いやられてしまっていた。もう三年、仕舞い込んでいた感情なのだ。再び引き出しに仕舞って鍵をかけるなんて容易いこと。
お盆くらいになると心なしか日が暮れるのも早くなる。この辺りは街灯が少ないから尚更そう思うのだろう。男のくせに久々に会えば話が弾んでしまい、気づけば既に夜の帳が下りようとしていた。まだ高校生の俺たちはあまり遅くまで出歩く訳にはいかない。そろそろ店を出るかと提案しようとしたときに仲間の一人が「そういや瀬見」と口を開いたので、開きかけた自分の口はぎゅっと閉じてその先を促した。

「お前さ、今日帰ってきてることに知らせてねえの?」

一体今日はなんだというのだ。こうも無遠慮に引き出しを開けられてしまうと鍵をかけた意味がない。とは言っても誰一人として悪気がないのだから、この気持ちの行き場所がなくてイライラとしてしまうのだろう。

「はあ? 何であいつに?」
「いやだってお前、あいつのこと……」

その先は聞きたくない。思わずキッと睨みつければ、言い出しっぺの友人は禁句だったのだと気づいたらしく適当に誤魔化して周りの友人たちに「なあ……」と同意を求めた。

「何でお前らまでそんなこと言うんだよ」

ここへ帰ってくる前に言われた言葉なんてこいつらは知ったこっちゃない。「お前ら」と言ってしまったことに対して皆も不思議そうな顔をしたがそれ以上詮索されることはなかった。その辺りが男同士の楽なところだ。折角久々に会ったのだから不機嫌になってしまっては勿体ない。あまり顔には出さないように背もたれに体を預け、ふうっと大きな息をつく。
どうして皆、あんな女のことを俺がどうにか想っているらしいと勘違いしているのだろうか。とは世間で言うところの幼馴染だ。ただ、色々な要素が複雑に絡み合って、幼馴染に抱くような感情を持ち合わせていないというのが本当のところなのだ。

「でも……ますます綺麗になったよな」

俺の纏う雰囲気から刺々しさが消えると別の友人が遠慮がちに口を開いた。その言葉に心臓がちくりと痛みだす。

「お前同じ高校だろ? あいつモテるんじゃね?」

俺の気持ちが置いてけぼりにされながら話がどんどん進んでいく。中学を卒業してから会っていない彼女の現在の姿は俺には全く想像がつかない。時が止まってしまっているのだ。だから大人っぽくなったとか、でも可愛いところも残ってるとか、そんなことを聞いたって俺には分からない。俺の知らない彼女のことをこいつらが知っていることが何よりも面白くなくて悔しいのだと理解するのに時間はそうかからなかった。先ほどの胸の痛みが、心臓を抉り出したいと思えるほどに強くなったのだ。

「あーモテるとかそういう噂は聞くけど、そういや浮いた話はあんまり聞かねえな」
「案外も瀬見のこと、忘れられてないんじゃねえの」

その言葉に息をすることを一瞬忘れてしまう。何だそれ。まるでが俺のこと好きみたいな言い方して。
びくりと動きを止めた俺に気づいた友人たちは「すまん」やら「調子に乗りすぎた」やら口々に謝罪を言葉にしたが、が俺のことを好きかもしれないという可能性を考え出すと何か言わずにはいられなかった。

「どういうことだ? お前らから何か聞いてた?」
「いや、だって、中学の時の瀬見との間って、入っていけない特別な雰囲気みたいなのがあってさ」
「そうそう。だからのこと気になってた奴らもちょっと遠慮してたっていうか」
「俺たち、二人はつき合ってないにしても両想いだと思っていたけど」

馬鹿馬鹿しい。俺がを好きだったって? が俺を好きだったって? そんな馬鹿げた話があるわけない。あの頃の俺たち二人は、もう、以前とは違う二人だったのだ。幼馴染という関係が破綻しているような、他人を装うとしているような、そんな二人だったのだ。

「それはねえって」

片手で手を振りながら呆れ顔で言って見せれば、あまり納得したようには見えなかったが「だよなあ」と皆頷いて、ようやくこの話にピリオドを打つことができた。
外はもう暗く、明るい店内からでも夏の大三角が確認できる。また年末に会えたらいいなと希望を口にしながら今日はひとまずさよならを告げた。
自転車に跨って帰路についていると、途中で神社の前を通ることになる。夜の神社って何だか不気味だよなあと背筋に冷たいものを感じながら自転車を漕ぎ続けたが実はこの神社には思い入れがあった。三年前のことを未だに引きずっているのはここであった出来事が原因なのだ。忘れることができないのはここの神さまの呪いなのではないかと思うこともあったけれど、忘れるなという強い思し召しの可能性も充分に考えられる。
そう思うと、神さま相手に不気味だなんて思うのは罰当たりなのかもしれない。
程なくして自宅に着くと、玄関には母親のものでもない祖母のものでもない少女らしい華奢なサンダルがきれいに揃えられていた。まさか、と思うと手に汗がじっとりと滲み出す。自分が帰ったことを知らせるようにわざと大きな足音を立てて居間に入れば、縁側にすらりと伸びた足が見えていた。座っているのか寝転んでいるのか、こちらからは上半身が確認できない。居間に置かれた扇風機の風が、スカートの裾をひらひらといたずらに弄んでいて、自分の家だというのに妙に落ち着かない。何にしても男の家でこんな格好しているなんて警戒心がないにも程がある。

「おい、人の家でくつろぎすぎじゃないか」

障子の向こうを覗き込めば、寝転んでいたが棒付きアイスをくわえたままこちらへ視線を寄越し、ほんの少し身じろいだ。そのせいでスカートの裾がめくり上がり隠されていた白い太腿が露わになる。ノースリーブのキワからキャミソールだか下着だかの肩紐が見えてしまい直視できない。大昔、小麦色に焼けて半袖の跡がついていたはずの二の腕は透き通るように白かったのだ。

「久しぶり、とか言えないわけ?」

むくりと上半身を起こしたの声は怒気を含んでいた。中学を卒業してから二年半もの間会っていなかった幼馴染が目も合わせず挨拶もないのだから当然のことだろう。しかし、にもまったく非がないわけではないはずだ。まともに話をしてほしければ、まともな格好で来るべきだ。健全な男子高校生を煽るような状態で迎え入れるべきではない。ましてや普段男ばかりのむさ苦しい部に所属している俺なんかの家に、こんな無防備な格好で待っていてはいけないはずだ。

「早く帰れよ。もう外暗いぞ」
「言われなくても分かってます!」

立ち上がったは残りのアイスをかじって残った棒を俺の胸に押しつけた。そこまで言うなら捨てておけということなのだろう。俺を睨みつけるは随分と縮んでしまったように思えた。実際はただ俺の身長が伸びただけなのだが、自然と上目遣いになるに不覚にも動揺する。その双眸は、一瞬でも気を緩めれば涙が溢れそうだと思えるくらいに濡れそぼっていた。
ついつい引き止めるために腕を掴みそうになったが、今日着ているうすいラベンダー色のワンピースに似つかわしくない足音をドンドンと立てながら居間を出ていくを見るとその気も失せてしまった。自分のために着飾ってくれたのだろうか。それなのに怒らせてしまってどんな顔をすればいいのか分からない。ただの自惚れかもしれない。だけど、胸に押しつけられた棒にはほんの僅かにピンク色に艶めくものがついていて何とも言い難い気持ちになる。
その場から一歩も動けないので、俺の母親に「帰ります」と告げて玄関の扉を引く音だけを聞いていた。思春期と呼ばれる頃からまともに話をしていなかった相手に今更どんな顔して会えばいいっていうんだ。それなのに、あんな態度に、あんな格好。ちょっとは俺の気持ちになって考えてほしい。まともな男子高校生であれば素直になんてなれるわけがないだろう。





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